2024年9月7日土曜日

不思議な模様の石

 

霜降り牛肉のような模様の石
一部ピラミッドのような形




こちらは動物壁画のような
模様の石
メノウのような感じ

光を透過させた状態

宇宙を眺めているような模様
これもメノウ


2024年9月5日木曜日

アンモナイトの形状

 

アンモナイトの形状は
このように
ボールのように丸いものから




イカ墨煎餅のように
薄いものがある



厚みは5mm前後
化石化するときに
圧力で元の形状よりも
薄くなっていると思いますが
側の様子を観察すると
それほど潰れていない
感じも受ける

そして
アンモナイトの隔壁を作る
縫合線の形状で

おおまかにこのように
3種類に分けられている

アンモナイトが登場した
約4億年前からの
単純な縫合線の
ゴニアタイト型

約3億年前からのの
セラタイト型
やや縫合線が複雑になっている

そしておよそ2億年前から
絶滅する6500万年までに
生息していたとされる
複雑な縫合線の
アンモナイト型
自然は不思議

2024年9月3日火曜日

川端康成と水晶の数珠


川端康成の随筆に
「水晶の数珠など」
というのがあります
そこでは清少納言の
枕草子の一節が取り上げられ
あてなるものとして
「水晶の数珠、藤の花、
梅の花に雪の降りたる」
というものが挙げられています
あてなるもの、は
上品で美しいもの
という意味のようですが
その紹介されているものに
似ているものを
手持ちの石の中から
勝手に選んでみました

まず藤の花
これは石の表面の模様です
藤の花といえば藤色ですが
このように白い花もあるので
強引に紹介しました

そして
「梅の花に雪の降りたる」
この鑑賞石、そのように
見えませんか・・

そして数珠
これは市販のガラスや水晶
玉gyokuの珠に紐を通す
穴が開けられたもの
それから市販の勾玉と

自作の勾玉を組み合わせて
自作した首飾りですが
これはやはり古墳時代のもので
清少納言の時代
平安時代にはなかったもの
と思われます

これは現代の数珠ですが
やはりこんな感じだったの
でしょうか

川端康成の随筆でも
このあたりのことが
考察されていて
氏は最初はこのような数珠
だったのだろうと
述べていますが
ある時、京都の骨董店で
平安時代のものとされる
大粒の水晶玉の数珠を見て
考えが変わったと
述懐しているのです

これは平安時代末
水晶玉ですが
大きさは記載されていませんが
こんな感じだったのでしょうか

これは松崎天神縁起絵巻に
描かれている僧侶ですが
手に水晶と思われる数珠を
持っています

水晶はソロバン玉のような
形に見えます

こちらは別の僧侶ですが

数珠は水晶ではなく
何かの木のような感じですが
一個の形はソロバン玉の
ように見えます

また、枕草子の
「関白どの」の段には
仏事に向かう牛車の様子を
「四つは尼の車。一の御車は唐車
なり。それに続きてぞ、尼の車、
尻口より、水晶の数珠、薄墨の裳、袈裟、衣(きぬ)
いといみじくて、簾は上げず、
下簾も薄色の裾少し濃き。」
とありますので
数珠を往来の人たちに
意図的に見せていたようです

俵屋宗達が描いた牛車

これは清少納言の像に
数珠が付けられたものですが
上の記述のように
牛車に乗っているときに
数珠をわざと出すためには
もっと長い方がいいような
気がします

2024年9月2日月曜日

野菜通信 石通信


親戚からの野菜通信
ナスとは呼ばせない
これはナンデスです


ピカソもびっくり
こぶり石というものらしい
これを2つ重ねてみた

こちらは
曜変天目茶碗に
ラブラドライト

アンモナイト化石

最後に、これは太古の水が
入っている水晶晶洞に
彫られた龍

龍は水を司る神でもあるので
見立ては素晴らしい

2024年8月31日土曜日

アンモナイト内部構造 結晶


もうずいぶん前のこと
状態のよいアンモナイト化石を
うっかり落としてしまった 冷や汗ものだったが幸運にも
パカリときれいに割れていて
内部の細かい結晶の
ビロードのような美しさに
思わず見惚れてしまった
不幸中の幸い




これは別の化石だが
パイライト化したアンモナイトを
カットしたもの
左の白線が動画のアンモナイトの
割れたところと
ほぼ同じ位置を示している
気房と気房は隔壁で
仕切られている

反対面の様子
左はアンモナイトの表面の
外側が剥がれ、殻を作っている
縫合線が現れている
右は表面も一緒に
化石化している

この化石は
全体を外側から削り込み
内部構造が現れた状態まで
加工されている
よくぞやってくれた