2011年1月21日金曜日

巴紋様々

大阪府吹田市の
万博公園内にある
国立民族学博物館
ウサギに因んだ
企画展が行われましたが
その展示物に東南アジアの
タイで使われていた
「皮むき器」がありました
それに付けられていた模様に
おや?!と思ったのですが
この文様は以前紹介した
巴形銅器に
似ていませんか・・?


 これは以前紹介した
弥生時代の
巴形銅器(参照
渦の向きは逆で渦の数も
違っていますが
良く似ています

原田大六著
「銅鐸への挑戦 1巻」
から部分転載

巴形銅器については
原田大六氏の優れた
考察がありますが
氏は著書で、中国秦代の咸陽宮の軒瓦(参照)に
巴形銅器とよく似た
文様があるということを
昭和50年代に
発表されていたのです

原田大六著
「銅鐸への挑戦 1巻」
から部分転載

それから、上の図は
アメリカのミシシッピ川
下流で発見されている土器(ミシシッピ文化)に
見られる文様として氏が紹介しているものですが
これにも同様の
文様が見られるのです

ここでもう一度
以前紹介した(参照
中国戦国時代の銅戈を
見て頂きたいのですが
この銅戈が出土したとされる
遼寧省に及んだ
文化と同じものが
東南アジアにあるというのは
納得できますが
北アメリカ大陸にも
流れていたということには
驚いてしまいます


2011年1月14日金曜日

不明材・・


現在、19世紀ギター ラコート・タイプ
製作していますが



 この裏板と横板の樹種が不明なのです・・
入手先の材木店でも判らない
ということですからお手上げです

現在はアフリカなどから多くの種類の木が
入って来ていてそれを扱う業者も
覚えるのが大変のようです


この材は、一見ブビンガのようにも見えますが
質感や匂いなどは明らかに違います
ブビンガとマホガニーと桜を合わせて
3で割ったような感じですかね・・
ご存じの方はぜひご教示をお願いいたします

やや荒い質感ですが、複雑な杢が出ていて
ニスの塗り方によっては
面白い効果が期待できそうなので
試作をしてみました

横板がうまく曲がるか心配でしたが
なんとかうまくいきました
問題は鉋の刃がやられやすい
ということですね・・
小刀やノミで削る分には問題ないのですが
鉋は刃先を擦るように使うので
どうしてもやられやすいのですね・・
ハイス鋼のものでも少ししか
もってくれないので苦労しました・・

出来上がった音
YouTube動画参照下さい


2011年1月13日木曜日

砥石の不思議 その3


今回、新たに手に入れた天然仕上砥石(本巣板)
産地は京都梅ケ畑地区大突産(地図参照)のもの
購入した「さざれ銘砥」によると
大突から菖蒲にかけて掘られていた
裏大突という間府だということです 
参照





使ってみてビックリ
ほどよい硬さで反応良く
かなり荒い研ぎ応えなのですが
仕上がりは緻密で
鏡面近くまで仕上がっているのです
ここまで荒い研ぎ応えの仕上砥には
初めて出会いました

同じ間府の内曇砥(天上巣板)も
何枚か持っていますが、硬さはほぼ同じですが
研ぎ心地は緻密で、仕上がりは曇ります
同じ産地の砥石とはとうてい思えません
砥石というものはほんとうに不思議です

2011年1月11日火曜日

特注仕様19世紀ギター 二種

これから製作していく2台の19世紀ギター
どちらも特注仕様です

 こちらは初期ミルクール・タイプ(参照
ペグヘッドで弦長は630mm





こちらはラコート・タイプ(参照
これも弦長は630mmでペグヘッド仕様です

どちらも響板のヨーロッパ・スプルースは
30年近く寝かせていたものです



2010年12月31日金曜日

サルタヒコとカモ氏

前回述べた葛城山(奈良県)には、神武東征以前に賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)が勢力を持っていた、と
山城国風土記逸聞(参照)に記されています。後に
賀茂建角身命は八咫烏に化身して神武を導いたという有名な話になるわけですが、後の賀茂氏の元祖でもあるわけです。カモの他の当て字としては、加茂、加毛、甘茂、鴨などありますが、ここ丹波篠山にある居籠神社(いがも)参照)のイガモはカモとは関係があるのでしょうか、知りたいところです。
葛城山がある大和(奈良県)にはもう一つ三輪氏という古豪が存在します。三輪氏については「碧玉と九鬼水軍」で少し触れましたが(参照)、祖はニギハヤヒです。
つまり葛城の賀茂氏と三輪山の三輪氏は同族ということになります。
賀茂氏は出雲風土記や記・紀では賀茂神戸(かも かんべ)として記載されていますが、出雲の大国主の国譲りでは仲介役として登場しています。
前回紹介した、大和国栖(くず)の主である一言主から
派生したとされる事代主(ことしろぬし・言代主)は、出雲の賀茂神社の主祭神として祀られていますが、事代主は託宣を司っているとされていますので神戸(かんべ)の役割を果たしていたようです。