2014年12月21日日曜日

清忠銘寸二鉋を入手 鉋身の仕込み角度について 

ここのところ、堅木の木口を削ることが多くなったので
仕込み角度の大きな鉋を手に入れてみました
鉋身の銘は清忠(寸二・身幅約5cm)


刃角度は約30度
東京鉋仕様で身が薄く作られていますが
作者はおそらく新潟与板の関川さんでしょう・・
清忠は問屋銘と思われます

鋼は特殊鋼系、青紙1号あたりでしょうか
焼き入れも強靭で、研ぎ上げるのにやや苦労します


鉋身の仕込み角度は約58度

一枚刃です

軟材削りでも問題なく使えます

深い杢と逆目の交じったウォルナット材を削ってみました

一枚刃でも逆目を完全に止めることができますが
刃を少しでも出し過ぎると
極端に切れが重くなるので厚み減らしには使えません
仕上げ削り専用、といったところでしょうか・・

硬く、粘りの強いホジュラス・ローズウッドを
斜め木口状態で削ってみました

問題なく削ることができます

ホンジュラス・ローズウッドの木口削り
かなり切れが重く、ちょっと無理かな・・という感じです

刃先は強靭で、このような状態でもまだまだ
切れは止んでいません
そういうことなので、これを通常の鉋として使ったら
どういう能力を示してくれるのか
大いに興味が湧いたので

同じサイズの古い鉋台に収めてみることにしました
赤樫台で、仕込みは九分勾配(約43度)

身が薄いので「馴染み」に別の板を接着


出来上がりました


ホンジュラス・ローズウッドを荒削りしてみました
YouTube動画UPしました

動画では一旦削った板を削っていますが
これは最初の撮影で、どういう訳か
カメラのスイッチが切れてしまったので
再度取り直したためです
ですから実際は10分くらい削りました

動画撮影後の削った板の状態
荒削りでこれくらい逆目が止まっていれば御の字です
節交じりの強烈な逆目部分も問題なく削れています

刃先はかなり磨耗していますが
まだ切れは止んでいません
かなり強靭な刃先です

その後、燕鋼の寸三鉋(身幅55mm)で仕上げました

仕上げた状態
強烈な逆目もほとんど止まりました

さて、仕込み角度の大きな鉋を手に入れたのは
堅木の木口削りに使うためだったのですが
実際に使ってみると、切れがかなり重く
思ったように削るのは無理がありました
これは現在堅木の木口削りに使っているもので
左は荒削り用のハイス鋼鉋・寸三(身幅55mm)
二枚刃ですが、木口削りの際は
押金を利かせずに使っています

右は古い会津鉋、重道銘・寸四(身幅6cm)

鋼は玉鋼と思われますが
切れは鋭く、粘りの強い堅木の木口でも
サクサクと削ることができます
これには大変助かります

ハイス鋼は刃先が強靭なので荒削りに使っていますが
切れが重いので、仕上げは重道を使っています

全体の平面出しには羅生門銘・寸八(特殊鋼系)が
威力を発揮してくれました

昔の優れた和鋼は切れが鋭く
刃先が白く磨耗した状態でもよく切れてくれます
この小刀は室町時代頃の短刀の先端を使って作ったものですが
粘りの強いホンジュラス・ローズウッドでも軽く削ることができます
これを使った後に現代製の小刀を使うと
かなり切れが重く、コントロールも効きにくいので
ついついこのこの小刀を使ってしまうのです
この小刀は竹を削ってもサクサクとよく切れてくれます

ホンジュラス・ローズウッドの木口でも
コントロールよく削ることができます

右はハイス全鋼小刀
黒檀などさらに強靭な木を削るときは
これを使いますが
やはり切れが重いので
ホンジュラス・ローズウッドくらいは
和鋼の小刀の方が威力を発揮してくれます


2014年12月19日金曜日

積雪の篠山と縄文笛

昨日12月18日の朝の様子
積雪は10cmほどでした












これは先日紹介したストーンハンターの知人から貰った物
海岸で拾ったらしい
縄文笛と呼ばれたりもします
この穴は貝が開けたということですが
かなり硬い石に、よくも開けたものだと感心します






この御方が開けたのでしょうか・・




2014年12月16日火曜日

近況報告 石探しと18世紀マンドリン


昨日はストーンハンターの知人を
近所の岩山へ案内しました
飼い犬「テン」も久しぶりの山で大喜び・・



14日は隣りの三田市で行われた
マリア味記子さんのプライベート・コンサートでギター伴奏
撮影時、ギターは仕舞っていたので
マリアハープを持たされました・・



こちらは工房の様子
修復中の18世紀マンドリンが出来上がりました
ピック(Quill)は本来は鳥の羽で作るようですが
象牙の端材がたくさんあるので、それで作ってみました
長さは弾く人の好みで適当に切ってもらうことにしましょう


当時のマンドリンに関する資料から






材料置き場を整理をしていたら
Walnutウォルナット材がギター1セット分だけ見付かった
木目がおもしろいので、ギターの裏板用として接着してみたら


海ガメのような模様になった・・
このまま額に入れて飾るか
ギターにするか悩むところであります・・


黒媛山青砥


こちらは今回手に入れた天然砥石
黒媛山青砥という
ラベルが貼られた中砥

鎌砥サイズ(長さ12cm、
幅4.5cm、厚み2.7cm)の
小さなものですが
初めて目にする砥石なので
入手してみました


石質は丹波の青砥とは
ずいぶん違った感じで
濃い色になったような
印象を受けます

詳しいことをご存知の
御方がいらっしゃいましたら
ぜひ御教示お願い致します

その後、天然砥石を研究されている長生高野さんから連絡があり
福島県西会津の落合という所で
採掘されていたらしい
ということが判明
会津砥や五十嵐砥が
濃くなったような印象と
述べているのが
間違っていなかった

板目と思われる面で研いでみました
カチッとした程よい硬さで研ぎ易く
強い研磨力があります
砥汁が邪魔にならないのも
好感がもてる

粒度は#800ほどで
砥目がよく揃っています
また、鋼に付く傷が浅いので
後の研ぎが楽に行える感じです

こちらは柾目と思われる面

研いだ感じはほとんど
変わりませんが

こちらの方がやや荒く
深い傷が付きます
研ぎ感は変わらないので
研ぎ傷が浅い板目面を使った方が
いいように思います

仕上砥ぎは前回紹介した
丹波亀岡
使ってみました

1分ほどで鋼の傷はほほ消えました

地鉄(じがね)にはやや荒い傷が
付いていますが
鋼(はがね)はピカリと光るほどに研ぎ上がっており
これで充分仕事で使えます

2014年12月11日木曜日

バンドー化学創始者 阪東直三郎 明治時代20才のときの日記

神戸のバンドー化学の創始者、阪東直三郎氏が
二十才のときに記した日記の翻刻本を入手
その頃、氏はここ丹波篠山の藩士だったということで
なんと、住んでいた場所はここから程近い当時の八上新村


デカンショ街道(国道372号線)の
八上上(やかみ・かみ)付近の大銀杏のあたり


日記は明治4年1月(1871年)から7年1月までの三年間ですが
国内では廃藩置県が行われるなど、明治になってからの
激動の時代とも言える時期、多感な二十代の影響か
藩士の重責もあってか、明治6年には味覚を喪失するほどの
精神的ダメージを受けたようです・・


その日記の中から今の時期に近い明治5年
12月12日の日記を紹介しておこうと思います
現代語風に読み下しておきます
間違いなどありましたらご指摘願います

明治5年12月12日
早朝に起き、午前中はいろいろと雑用をする
午後から立町の裏の黒沢鉄太郎藩士の家に
回覧板を持って行き、しばらく話し込んで
帰ろうとしたところへ、猪肉売りが門の外に
来たのですぐに召し入れ、いっしょに一杯やろう
ということになったので、仕方なく止まった
そこへ須藤氏が来たので三人で午後2時半頃まで酒を飲んだ
帰る途中、裏山に立ち寄ってみると妻が
父親の隠居先で一杯やっていたので、ついつい一杯飲んだ
それから、小林氏の宅へ行き
瀬川に会いたいと申し出たところ
すでに帰郷した後だということだった
仕方なく服部氏のところに行き、しばらく談話し
引き返す途中、また父親の家で一杯やった
食事が終わり母がお粂(女中か)と裏山へ行く
というので留守番をしていたところ
関勉藩士が来て、ぜひ外出しようというので
仕方なく家を出て、しまいには広小路前の
米吉という飲み屋まで来てしまった
そこで一杯やっているところへ今度は北沢氏が来たので
ようやく午後九時頃に店を出ることができた
それから他の者は蕎麦を食べに行ったが
自分は一人だけ辞退し急いで帰宅、就寝した

読みながら思わず笑ってしまった・・
この日はけっこう賑やかに飲んでますな・・
激動の一日・・?