2016年7月28日木曜日

江戸時代の図絵 砥石 漆関連

こちらのHPの天然砥石について
紹介している和漢三才図絵の砥石に関する図の
大きな画像が必要と思われましたので
ここで紹介しておきます
別タブあるいは別ウンドウで開くと
大きな画像を見ることができます


以下は、漆に関する江戸時代の図絵
これは江戸時代の初め頃(1600年代)
海北友雪によって描かれた蒔絵師の絵
「職人絵尽」から部分転載

同じく漆細工師


こちらも江戸時代初期に描かれた
喜多院職人尽絵から蒔絵師(部分転載)


これは江戸時代の始め頃、元禄三年(1690年)に
発刊された「人倫訓蒙図彙Jinrin kunmou zu i」から
「漆掻」の図
説明は「漆はよしの(吉野)を名物とす。
其外、諸国にあり。是も山賊Yamakatsuの
業Wazaとして木を植えてこれを取るなり」

同じく漆屋の図と説明
説明は「諸Moromoroのこし漆(濾し漆)あり
並Narabini砥粉Tonokoをも商う
所々にあり」


これは江戸時代の中頃
宝暦四年(1754年)に発行された
「日本名物図絵 」から漆製法の図

「漆の木に鎌にて切目をつくれば 
其切目より汁ふき出るを竹べらにてこそげ取也
こそげ入れるうつわ物に茶の濃きせんし汁を入
くるみの油を加えて其上へ漆をこそげいるれば
漆やけずしてよしといへり
元漆を取には蒸て ほそき木は汁なし
又格別の老木もわるし
和州吉野 紀州熊野 うるしの名所也
其外締玉より出うるしの木の実は取て蝋にする也」


こちらは江戸時代の始め頃、貞享二年(1681年)に
発行された「歌合・職人絵尽くし」から塗師の図
「よ(良)げに候Soruou きがき(生掻)の うるし(漆)げに候
今すこし火ど(取)るべきか」

歌合Utaawaseは
「左・いつまでか はまくりばなる こがたなの 
あふへきことの かなわさるらむ」 

いつまでか 蛤刃なる 小刀の
会うべきことの 叶わざるらん

「右・しほれとも あふらかちなる
ふるうるし ひることもなき そてをみせはや」

絞れども 油がちなる
古漆 振ることもなき 袖を見せばや

判定・「左右ともにこころ(心)ことば(言葉)き(利)きて
をもしろくき(聞)こゆ 
よき持(もち)にこそ侍る(はべる)めれ(引き分け)」 


同じく箔打師(金箔を作る)の図
「なんりやう(何両?)にて うちいで(打出)わろ(悪)き」

歌合は、「左・はいらうの たらさりけるか
我に人 とろほされしと おもいあはねば」
配料の 足らざりけるか
我に人 とろほ(泥棒?)されしと おもい会わねば

「右・こひすとて あをみはてたる ひたちかね
いつ色よしと 人に見えまし」
恋すとて 青味果てたる ひたち金
いつ色よしと 人に見えまし

判定・「左右ともに歌さまいやしく 又
逸興侍らす(はべらず) 可為持(持となすべく・引き分け)」
 

これは、かいすり(貝磨り師)の図
「このたち(太刀)のさや(鞘)は 
ばくたい(莫大)のかい(貝)が入べき」

歌合は、「左・したへとも われをは 人の日にそへて
うとくなし地の たえまがちのみ」
慕えども 我をば 人の日に添えて
疎く梨地の 絶えま勝ちのみ

「右・色にいて々 人にこ々ろを くたきかひ
あをさめはつる 恋もするかな」
色に出でて 人に心を 砕き貝
青褪め果つる 恋もするかな

判定・「左はこと(事)もなくよろし
右はまことに恋する人のおもかけ(面影)
うかひ(浮び)たり なをかつ(勝)べくや(右の勝)」


まきえし(蒔絵師)の図
「此たらい(盥)は いかけ(沃懸)地にせよと仰らる々
手間はよもいらじ」

歌合は「左・いかけ地の ところどころのきりかねの
ひかりことなる あきのよの月」
沃懸地の 所々の切り金の
光殊なる 秋の夜の月

「右・あきはけに さすかなりける かひかたな
さやかに月の ひかりさしつ々」
秋はげに 流石なりける 貝刀
鞘かに月の 光射しつつ

判定・左右ともに月の光りとよ(読)める
なを(尚)右は句こと(毎)に一首の
こ々ろ(心)いひ(言い)あらは(表)して
さすが(流石)す(捨)てがたし
(よって右の)為勝(勝ちとなす)

2016年7月24日日曜日

和楽器ユニット おとぎ そしてアクセサリー作家 梅田竹生氏

今日は、調整した琵琶の具合の確認のため
ちょっと京都まで

「和楽器ユニットおとぎ」のYouTube動画 

響都ホールのホワイエの壁面
思わずパチリ

その後、知人のアクセサリー作家
梅田竹生さんの作品展を覗くため
高島屋京都展へ向うが・・
京都は祇園祭の真っ最中
今日は還幸祭ということで

高島屋に向う途中、四条通りは神輿見学の人、人、人
で溢れかえっていました

やっとの思いで高島屋へ到着

アクセサリー作家の梅田竹生さんの
オンライン・ショップを紹介しておきます



帰りの道中
東寺の五重塔

2016年7月21日木曜日

我輩は猫である・・

我輩は猫である
名前は「おぼろ」
いちおうメスである
この家に来て11年になる
長いような、短いような・・

オイラはこの遊びが
好きである・・
体をはった知恵の輪じゃ

おっと、頭が
抜けん・・汗・・

他の猫同様
箱は好きである・・
邪魔はゆるさん!

冬のスト-ブも・・

覗くのも好きである

家主にこんなことされても

こんなことされても

オイラは怒らん・・
家主の相手もやってやるよ

雷は恐いが 

寝るときは

寝る・・


いちおう
ときにはネコも被る・・

家主の機嫌も
とるときはとるし・・

作業の邪魔もする・・

 




それでもニャ~ンとやれば
このように
機嫌を取ってくれる


ちょっと反省・・



犬も一応かまってやろう・・



丹波篠山名物の
黒豆の枝豆は大好物
見てちょ・・

狛犬のコマッた君とも
仲はいいが・・

ライバル現る・・
コイツは誰じゃ・・

2016年7月20日水曜日

高口定雄氏の興味深い説 その2

6月25日に紹介した高口定雄氏の興味深い説の追加分を紹介しておきます。
今回は猿田彦・サルタヒコと銅鐸、あるいは鉄の精錬、そして砥石産地との
関連性を地名とその土地から出土している考古学的資料を交えて考察がなされています。
これはこちらのブログ「猿田彦と滋賀県」のコメントとして頂いたものです。

篠山市付近の「猿田」「猿目」地名
篠山市の佐々婆神社と猿女が関係あるとの情報を得て、地名「猿田」「猿女」が、
篠山市付近に無いか調べてみました。
1.篠山市郡家小字猿目(さるめ)
2.篠山市乾新町小字猿目(さるめ)
3.丹波市山南町小畑家小字猿部谷(さるべたに)
4.丹波市山南町上滝小字サルべ

地名「猿田」について、福岡県、兵庫県、愛知県、奈良県
1.福岡県 6件 (1)糟屋郡須恵町須恵 猿田
 (2)糟屋郡須恵町上須恵 猿田
 (3)田川郡福智町赤池 猿田
 (4)宗像市吉留 猿田
 (5)福津市畦町 猿田
 (6)北九州市八幡西区藤田 猿田

2.兵庫県 6件 (1)加東市河高 サル田
 (2)加西市北条町西南 猿田
 (3)西脇市落方町 サル田
 (4)多可郡多可町八千代区俵田 猿田
 (5)豊岡市日高町知見 猿ヶ田
 (6)神崎郡福崎町高岡申田

各県の「猿田」地名件数
石川県  3件
埼玉県  1件 
茨城県 22件 
三重県  7件
高知県 10件
群馬県  3件
福岡県  6件
兵庫県  6件
愛知県 20件
奈良県  4件
千葉県 40件

周囲の地名に注意しながら調査していますが、特徴が二つあるように感じます。
 (1)付近に、「佐」「笹」などの地名が多い傾向にある。
 (2)黒部、船木、穴虫などの地名が付近に多い。
   ちなみに、遠く離れた関東の茨城県も調査中ですが、あります。
   特徴的に思うのが、舟木地名と同じ場所に「猿田」地名があることです。
   茨城県久慈郡大子町上金沢の地内に「猿田」「舟木ヶ沢」がある。
   茨城県久慈郡大子町浅川の地内に「猿田」「舟木ヶ沢」がある。
   大子町は、金や銅、粘板岩からとれる硯石の産地として地元では有名です。
   以上のことから、「猿田」地名は、「黒部」「船木」「穴虫」との相関性が強いと考えられます。
   このことは今後全国的に調査していく予定です。
   また、現状では「猿田」地名について、次のように考えています。
   現時点でのあくまでも仮説です。

猿田は、古語の「佐田」「砂田」が語源かもしれない。砂が得られる場所のようである。
たとえば、口語では、「さなた、さぬた、さのた」などのように、助詞の「な」「ぬ」「の」を
入れるのが普通であった。ところが、この「ナ行」を「ラ行」への口語変更が発生した。
「さぬた」「さるた」を発音してみるとわかるが、「さるた」のほうが、鼻音「な行」を
使用するよりも発音が楽である。

「ナ行」→「ラ行」への変音実例
1.古事記の越前国ツヌガ(都奴賀)は、倭名称では、ツルガ(敦賀)と書く
2.延喜式式内社の伊予国越智郡イガナシ(伊賀那志)神社の所在地を
   イガラシ(五十嵐)といっている。
3.美濃国山県郡ウヌマ(鵜沼)を、八雲御抄ではウルマ(宇留間)と書いている。

千葉県の「猿田」地名
千葉県には40件ありました。
それからやはり、「黒部」「船木」地名が近くに共出する傾向にありました。
関東には穴虫地名は見あたらないようです。また、古墳時代前期の遺跡も近くにあります。

例1 千葉県成田市船形小字「下猿田」「上猿田」
ここより約2km離れた成田市八代には、古墳時代前期の八代玉作遺跡」
ここより約2kmは、成田市玉造で地名「玉造」がある。
ここより約8kmは、成田市久米  久米は「くろべ→くろめ→くめ」と変化した地名

例2 千葉県長生郡長南町豊原小字「猿田」
豊原地内に油殿古墳1号墳 前方後円墳で4世紀末~5世紀初
豊原の隣の大字芝原(約2km)に能満寺古墳 前方後円墳 4世紀後半
豊原から約3kmは、千葉県茂原市上永吉小字「船木」

群馬県の「猿田」地名
<群馬県> 地名「猿田」3件
1.藤岡市上落合「猿田(さるだ)」 鏑川と鮎川の合流点
 1)地内に七興山古墳 前方後円墳 6世紀前半
  6世紀代では東日本最大級の古墳
 2)約2kmは、高崎市木部町
  木部は木之部と同じ: 兵庫県篠山市ほか
 3)約4kmの高崎市下佐野町には、古墳時代前期の
  玉作遺跡「下佐野遺跡」
  三波川変成帯の蛇紋岩による玉作

2.藤岡市白石「猿田(さるた)」
 1)前項の藤岡市上落合に隣接

3.吾妻郡吾妻町原町「猿田(さるだ)」 


高知県の調査結果
(1)安芸市土居小字「サルダ」
・土居地内に、小字「上玉造、下玉造」
・約4kmの安芸市伊尾木に、小字「砥石谷」があり、地内より銅鐸出土

(2)土佐市高岡町小字「猿田」
・地内に、小字「砥石ヶ谷」
・約7kmの高知市春野町森山に、小字「黒法師(くろぼうし)」
「くろぼうし」は「くろぼし」で、「くろぶし(黒伏)」からの変形地名と推測。
また「黒吹(くろぶき)」→「黒伏」→「くろぶし」と変化したと推定。

<注> 兵庫県朝来市生野町竹原野に小字「黒吹(くろぶき)」。
黒吹から約1kmは生野銀山。

(3)高岡郡日高村沖名小字「猿田」
前記2項の高岡町猿田から約6km離れた地域。川でいうと共に仁淀川右岸の地
・約3kmは、土佐市谷地小字「砥石谷」

(4)土佐市本村小字「猿田越(サルタゴエ)」
・地内に小字「宗像ノ平」
・約4kmは、土佐市北地小字「宗像(ムネカタ)」
・約4kmは、土佐市谷地小字「砥石谷」

(5)四万十市磯ノ川小字「猿田山」
・約5kmは、森沢鉱山(四万十市森沢、黄銅鉱)
・約5kmは、黒川恵美寿鉱山(宿毛市平田町黒川、黄銅鉱、黄鉄鉱)

(6)四万十市田野川小字「東サルタ」
・約6kmは、田ノ口鉱山(幡多郡黒潮町上田ノ口、黄銅鉱)
・約2kmは、四万十市藤小字「猪野々(いのの)」

<注>猪野々(いのの)
・兵庫県朝来市生野町「猪野々」から約2kmは、生野銀山
・京都府福知山市「猪野々」から約1kmは、梅谷鉱山(福知山市梅谷、銅、鉛、亜鉛)
・和歌山県御坊市北塩屋小字「猪野々」から約6kmは、
               和佐水銀鉱山(日高郡日高川町和佐)

(7)南国市下末松小字「猿田ノ北」
・約3kmの南国市大湧より銅鐸出土。また地内に小字「鳥取」
・約3kmの南国市田村より銅鐸出土
・約6kmの鏡香美市土佐山田町楠目より銅鐸出土

(8)高岡郡檮原町上組小字「申田(サルダ)」
・約2kmは、東向鉱山(高岡郡檮原町東向、自然金、黄銅鉱)

(9)幡多郡黒潮町田野浦小字「猿田」
・地内に小字「砥石ヶ本」
・約2kmは、田ノ口鉱山((幡多郡黒潮町上田ノ口、黄銅鉱)
・約5kmは、三の岡鉱山(四万十市古津賀、自然銅、黄銅鉱)
・約8kmは、幡多郡黒潮町蜷川小字「船木」

(10)幡多郡大月町添ノ川「小字「猿田」

トピックス
(1)石川県金沢市北塚町「猿田」
・約1kmに古墳時代初等の遺跡「古府クルビ遺跡」
「クルビ」地名は消失しているが、「くろべ(黒部)」の変形地名
・約2kmに弥生時代後期の下安原海岸遺跡(下安原町)。玉作遺跡出土。
・約3kmに弥生時代中期の寺中遺跡。玉作遺跡。
新潟県佐渡市の新穂型といってよい石鋸が出土。
なお、佐渡市に「黒目作」という地名がある。茨城県日立市にも「黒目作」地名があり、
砥石「助川青砥」産出地直近。黒目は「くろべ、くるべ(黒部)」から変化したもの。

(2)石川県松任市島田町「猿田」
約2kmは松任市長島町「クロビ田」。 「クロビ」は「くろべ(黒部)」に同じ。

(3)茨城県筑西市井上「申田(サルタ)」
・約5kmは4世紀前半の蘆間山古墳(徳持古墳とも、筑西市徳持)
・約8kmは、筑西市岡芹小字「黒部」

(4)三重県鈴鹿市山辺町「猿田」
・隣の上野町(約1km)より弥生時代の銅鐸片出土
・約3kmに弥生時代の玉作遺跡の茶山遺跡(鈴鹿市高岡町)
・約8kmに4世紀末の前方後円墳「野褒野(のぼの)王塚古墳」
・約10kmは、鈴鹿市辺法寺町小字「穴虫(あなむし)」

(5)三重県熊野市大泊には、小字「サルタ」「サダ」が共出。

(6)三重県には、地名「佐田」15件と多い。
・津市白山町佐田には、小字「舟木」
隣接する津市白山町上ノ村には小字「黒ン坊(くろんぼう)」があり、
黒部の変化地名

(7)「佐田」を古代には、連体助詞「な、ぬ、の」を追加し、「さぬた、さぬだ」
といっており、これが「さるた」に変化した可能性を想定しているが、
「さぬだ」地名が、三重県に1件存在していた。
三重県伊賀市下友田「佐奴田(さぬだ)」
付近の地名、遺跡は、
・伊賀市下友田「大黒(おおぐろ)」
伊賀市田中「黒口(くろぐち)」
・約4kmは、古墳時代前期の東山古墳(伊賀市円徳院)。伊賀地方最古。
・約7kmは、古墳時代前期の山神寄建神社古墳(伊賀市山神)
唐草文帯三神三獣の三角縁神獣鏡が出土。同笵鏡はないが、
同じ文様では奈良県の鏡作神社からも発見されており、
かつ鏡作神社直近に「黒部」「穴虫」地名がある。

「佐田」「大貞」なども調査の必要を感じていますが、まずは「猿田」優先で調査の予定。
なお、地名と遺跡の距離は、15km以内で調査しています。
奈良時代の駅家間平均距離が14.7kmとの報告があり、これを根拠に
同一居住圏の範囲は、15km以内と仮定したものです。

「完全踏査古代の道」 木下良監修、武部健一著  2004年10月1日発行 吉川弘文館


「笹場(ささば)」地名
前橋市小屋原町「笹場」
地内を広瀬川が流れるが、古くは広瀬川が、利根川の流路であった。
1)約3kmに前橋天神山古墳(前橋市広瀬町)4世紀前半の前方後円墳
 三角縁神獣鏡が出土し、同じ鋳型で鋳造された鏡として、
 奈良県櫻井市桜井茶臼山古墳、 奈良県天理市黒塚古墳の鏡がある
 参考: 奈良県桜井茶臼山古墳の近傍地名:黒目、穴蒸(あなむし)、木部(きべ)

2)約5kmの弥生時代後期の西太田遺跡(伊勢崎市安堀町)
 から、甕に入った砂鉄が出土
 甕の種類形式は、茨城県北部の十王台式土器(日立市含む)

3)約5kmは、前橋市上佐鳥町、下佐鳥町
 佐鳥(さどり)は、砂取(さとり)のことと思われる。

三重県津市の「しぶみ」という地名
<三重県津市渋見町(しぶみちょう)>
1.地内に「志夫美神社」 延喜式式内社の志夫彌神社  祭神志夫美神
2.渋見町地内に小字「赤目」「塩田」
3.約3kmは、津市安濃町清水小字「黒部」
4.約2kmの津市野田より銅鐸出土

三重県で、砥石と銅鐸が関係する事例
京都府京都市右京区梅ケ畑は仕上砥石産地でかつ銅鐸出土していますが、
これを含めて2例目です。

三重県津市白山町川口小字「砥石谷」
ただし本当に砥石が産出されたとの記録は未確認です。
川口から約4kmは、津市白山町藤小字「舟木」。
川口から約3kmは、津市白山町「北家城、南家城(いえき)」。
地名研究で有名な谷川健一は、その著「青銅の神の足跡」で、
家城=伊福(いふく、いふき、いおき)で、伊福は銅鐸鋳造に関わる集団だと述べています。

高知県安芸市伊尾木の小字地名「砥石谷」
伊尾木からは銅鐸が出土しています。
砥石を産出したとの記録は未確認。
銅鐸の時代に砥石が重要な資源のひとつとして認識され使用されていたことが、
3件のデーターで言えるかと思います。

和歌山県の地名事例。砥石との関係は未調査。
和歌山県御坊市塩屋町北塩屋小字「黒免(くろめ)」 
                   「くろめ」は「くろべ(黒部)」の変化地名
(1)約6kmに和佐水銀鉱山(日高郡日高川町和佐)
(2)約4kmは御坊市湯川町小松原で銅鐸出土
(3)約9kmは、日高郡日高川町蛇尾小字「船木谷」


ここからは私の補足として、兵庫県姫路市と和歌山県の例を紹介しておきます。
まず姫路市に砥堀という地名があり、そこから6kmほどのところに、銅鐸の
鋳型片が出土している今宿丁田遺跡名古山遺跡があります(地図参照下さい)。
名古山遺跡の鋳型片は砥石として再使用されていた形跡があるということです。

それから近年まで紀州砥という荒砥が採掘されていた和歌山県白浜近辺と
銅鐸が出土している3ヶ所の地(地図参照下さい)。

そして但馬砥の産地、兵庫県豊岡市日高町では多数の銅鐸の破片が発見された
久田谷遺跡があります(地図参照下さい)。