2011年4月24日日曜日

幕末の出石と江戸


22日に紹介した短刀の中心(なかご)
切られていた添え銘は
「出石疾命」ではないかという
源信正さんの指摘がありましたが
これは充分考えられそうです
出石疾命は奉納された神社の
神様の名前でしょうから、現在の出石神社か
どこかの神社にそのような神が
祀られていたものと思われます

ですから、出石(いずし)という文字が
切られている以上、当時(嘉永七年)の
但馬国(兵庫県北部)の出石藩
と関わりがある可能性は捨てきれません

源信正さんは
当時の出石で流行病(はやり やまい)でも
あったのではないか、と云われていますが
その可能性もありそうです(参照
ここで説明されているように
幕末に出石で病が流行していたとすれば
上の短刀の銘が切られた嘉永七年(1854年)
にもまだ続いていたことも考えられます
もしそうだとしたら
参勤交代で江戸(武蔵国)に上った際に
当時の幕府お抱え工である
石堂運寿斎是一に奉納刀を打ってもらい
それを出石に持ち帰り
流行病の鎮静を祈願して神社に奉納した
ということは充分考えられるのではないでしょうか







因みに、これは出石の旧家から出た当時の読本です
題は「野居鷹(のずえのタカ)



 発刊されたのは文化五年(1808年)
画工は、かの有名な葛飾北斎であります
江戸深川で発刊されたことが記されていますから
この本も江戸から出石に運ばれてきたことになります
見開いた右上に判が押されていますが
但州出石 サシガネに▲の下に米太とあります






この読本は、四巻が綴じられていて
貸し本とされていたようです
上の「米太」という判は
ここに書かれてある田米屋という貸本屋
のものなのかもしれません
各巻の最後に上のように
「帙本何方(いずかた)へ御かし(貸し)
申候共(申しそうらへども)相済み候はば(そうらはば)
早々御返し下され
(たく)候也(なり)
と注意書きがなされています

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

野居鷹・・・どちらでこのような資料を見つけられたのですか?
図書館?個人の家?
呉市の歴史を調べるのですが、近代史がほとんどです。
広島は長崎と同じように原爆被災のため資料が焼失しています。
私も調査が大変です。
            源 信正

kiyond さんのコメント...

野居鷹は数年前に篠山の骨董市で見つけたものです。
業者さんの話によると、出石の旧家から数日前に
初出し(うぶだし)されたばかりだということでした。
古文書は他にもいろりろありましたが
北斎の絵が入ったものはこれだけでした。
こういったものは京都の古書店などでは
かなり高価ですが、かなり安く買えました。
それでも数万円はしましたが・・・

広島の呉市に関しては調べたことがありませんが
以前の篠山刀剣会で安芸で打たれた刀は拝見したことがあります。
安芸の刀工は珍しいと思いますが、厳島神社があるので
そことの関係でもあったのでしょうか・・
厳島神社には長崎系の画人(文政年間)とされる新見皐(にいみ こう)
が描いたオランダ風景図も奉納されているようですね。
他には筑前博多の講衆により奉納された鋳銅釣灯篭も
所蔵されています(南北朝時代)。
呉の周りから攻めていけば何か手掛かりが見つかるかも
しれませんが、長期戦を覚悟しなければ・・
といった感じですか。