2014年5月22日木曜日

明治10年第一回内国勧業博覧会出品解説書

以前紹介した(参照下さい
明治10年第一回内国勧業博覧会の出品解説の内
砥石の産地が掲載されている本を紹介して欲しい
という要望がありましたのでUPしておきます
明治前期産業発達史資料
これは昭和37年(1962年)に復刻されたものです

砥石に関する解説は第7集(1)に掲載されています

復刻版で紹介されている明治時代に出版された原本



砥石の産地が記載されている頁

砥石に関する記述のところを現代語風に読み下しておきます
間違いなどありましたらご指摘お願い致します

中砥石各種
各県、諸州から産出されているものを蒐集しゅうしゅうした
砥石を産出する地は、おおむね運輸の便が悪いので
運搬が容易な土地では古来から採掘されていて
すでに掘り尽くされている所もある
このことから、中砥石が古来から必需品だったことが伺われる

あわせ砥石 青砥石
精砥あわせとは剃刀(カミソリ)砥のことである
青砥は煙草たばこ屋が主に使っている
これらの砥石は泥磐層中に産するので
精砥の色はたいてい黄色あるいは褐色で
青みを帯びているものもある
青砥は暗い青一色で出ることはない

白精あわせ砥石
白精砥石の最上のものとされるのは
降灰石にまれに産する三河名倉砥のようなものである
この砥石が降灰層中に成立する造化法(生成過程)は
絶妙で驚嘆に値するものである

以下、その点を詳細に解説すると
降灰石が堆積している地面の面積は
その堆算法に随えば、日本列島の面積の約10分の1~2である
その層は大抵他の諸石の上部に有り
広大な面積を占めている
そのなかで将来的に磐石に化成するであろうと
思われる層は陸奥北郡と二戸郡の全地域にある
それは一望できる長丘を形成していて
場所によっては長さは400kmほどあり
概ね(おおむね)新しく降灰し堆積したものである
当時、降灰で海が陸になったことも知られている
その火山は西には岩城山(岩木山・津軽富士)

南に岩鷲山(南部富士)、北には焼山(恐山)がある
他にはこれらの地から40km~80km地点にも火山が多く
長丘を形成する要因となったものと思われる
この他、火山地域で降灰が岩石の脈を成すときは
20km~80kmに及ぶ
この岩石生成は火気造化によるものなので
石中に生物の痕跡は見られない

第13号 降灰石
三河国 設楽したら郡川合村
採掘され始めたのは寛永年間とされ
それ以来、時に採掘が止められたり、再開されたりしてきた
現在、地元の人によって採掘されているが
世の中に広く行き亘るほどではない

砥石の脈は20余りのはっきりとした層になっていて
その層は厚いところと薄いところがある
その中で緻密で鋭利なものが精あわせ砥として使われる
この砥石は火山作用により生成されていて
それを図によって示しておく

この砥石の効用は刀剣を研ぐには最上とされていて
刃の研ぎ上がりは霜が降りたような艶となり
素晴しい艶を発するので砥石の価値はたいへん高い


三河白名倉砥石の層の図

上磐
メシロ(目白) 一寸五分(4.5cm)
テンジョウ(天井) 二寸五分(7.5cm)
アツフタ(厚蓋の意味か?) 七寸(21cm)
ヤケン(薬研か?) 五分(1.5cm)
中砥石 一寸八分(5.4cm)
オオムシ(大ムシか?) 五寸(15cm)
シモムシ(下ムシか?) 二寸五分(7.5cm)
上砥石 二寸(6cm)
カメ 五分(1.5cm)
トダイ(砥台か?) 二寸(6cm)
下磐

2 件のコメント:

源 信正 さんのコメント...

砥石はハワイ方面から動いてきたものが、圧縮隆起して地上に顔を出したものと思っていましたが、この本では、火山噴火の堆積物となっていますね。
天然砥石の枯渇が言われて久しくなりますがm石油と同じで次々よ発見されれば良いのにと思っていますが、掘削する職人も居なくなってるので、それも難しいのかな。

田中清人 さんのコメント...

三河名倉砥は凝灰岩ですから
この説明で合っていると思います。
ハワイの海底の堆積物がプレート移動で
日本列島に達しているとされるのは
仕上砥石の珪質粘板岩ですね。