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2023年12月5日火曜日

蚩尤と神武天皇などの容貌

兵庫県によく見られる兵主神社hyozu-jinjaの祭神である兵主神hyosu-no-kamiは中国の武神である蚩尤shiyuであるとする説は以前紹介したことがあります。
五帝本紀」では蚩尤は最も乱暴な武士で、鉄沙をもって兵器を作り、黄帝軍をさんざん悩ました、と記述されているほどですから、武神でもあり、鉄の神とされたのは当然かもしれません。

「穴師anase兵主神の源流」の
著者、皆神山すさ氏は
蚩尤はシュメール語のシムグが
源であるとし、朝鮮では朱蒙
であるとしています。

蚩尤の容貌
Wikipediaから引用

このような図もある

上に紹介した蚩尤は異様な容貌をしていますが、先代旧事本紀には
人皇・天皇の容貌が書かれていて、
初代天皇の神武天皇は身長が3m以上あり、頭に9cmほどの角があり長い尾も生えている。
また、二代目の綏靖suizei天皇には背中にウロコがあり、怒ると逆立つ。
七代目孝霊天皇は顔が長く龍のようで耳は逆立ち、その耳の後ろに白い鱗(うろこ)がある。また、胸にも9枚の鱗があり、その九つの隙間から気を放っている。
十代崇神天皇は身長は1m90cm。額に10cmほどの青い角が1本ある。
下アゴの歯は長く鋭く上アゴの歯は短く丸く舌は長く鼻にまで届く。
十一代垂仁天皇は身長1m80cm。髪は右曲がりに頭を9周するように生え、
頭頂部で輪のように巻いている。
また、両脇の下には金と緑の羽を持ち、
肘にも同じような羽が根ざしていた。
とあります。

人皇16代・応神天皇の容貌。身長3mほど、目は弓を張ったような形、
胸に72本の牛の尾のような青毛があり、
長さは馬の尾の如し。

人皇17代・仁徳天皇の容貌。身長2.7m、耳は眉の上あたりから口の下に垂れ、
足の指は長く手の指の如し。
これらの記述を見ると蚩尤や神武天皇などはレプタリアン系の
宇宙人のようにも思えます。
以上のことは古事記や日本書紀には書かれていませんが、不思議なことにサルタヒコの容貌は日本書紀に「鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いている」と記されています。
この記述は先代旧事本紀のサルタヒコの記述とほぼ同様なのです。
これはいったいどういうことでしょうか・・

2020年3月24日火曜日

南米ボリビアの古代文字



南米ボリビアで発見された
人物像の台座部分に
刻まれている文字と
よく似た文字を
他にも見付けました

これを見て
どこの国を想像されます
でしょうか
以外にも中国なんですね・・
それもかなり古い
殷代前期とされています
紀元前1500年頃でしょうか
中国最古の文字とされている
甲骨文字よりも古いもので
その甲骨文字や
その流れにある
漢字とは似ても似つかない
文字なので
中国としては
認め難いようです

それからこれも
上のボリビアの文字に
似た雰囲気がありますが
これはミケーネ文明の文字
紀元前2000年頃の
ギリシャ本土とクレタ島で
使われていた文字なのです
上の中国殷代の文字とは
500年ほど違っていますが
何か似た雰囲気があります



以下は日本で発見されている
古代文字の中から
上のものに似た雰囲気の
ものを紹介しておきます



それからボリビアの人物像は
男女と思われるのですが
日本にも同様のものとして
道祖神というものがあります
これは分かれ道などに
道しるべとして置かれたり
しているものですが

もともとはサルタヒコと
アメノウズメ
とされているものです
サルタヒコは古事記での
二回目の天孫降臨の際
ニニギノミコトの
道案内をしたことに
なっています
そのとき、ニニギノミコトの命令で最初にサルタヒコに
道を尋ねさせた
アメノウズメと一緒に
なっていますので
道祖神はそれが
元になっている
とされています

古代エジプトにも
同様の像があります
(B.C.2700年頃)

こちらは中国の古代神話に
登場する伏羲と女媧
この図で伏羲が
持っているのは
指矩(さしがね・三角定規)
女媧が持っているのは
コンパス
この解説については
この動画を参照下さい

そしてこれはパキスタン
インダス川流域の
モヘンジョダロ遺跡から
出土している神官像



同じ遺跡から出土している
踊り子とされる像
これは上の神官像と
対になっている可能性が
大きいのではないかと
思われます


注目したいのは
この像の左腕に
付けられている
腕輪のようなものですが

日本の弥生時代の
遺跡から出土している
この人骨が腕に付けている
腕輪とよく似ているのでは
ないでしょうか
(福岡県飯塚市にある
立岩遺跡から出土)

邪馬台国の卑弥呼も
弟が付き添っていた
ようなので
卑弥呼が神降ろしをする際に
神がかりになった
卑弥呼と対話役として
弟が役目を果たしていた
ということも考えられます

このことはモヘンジョダロの
神官と踊り子にも
言えるのかもしれません
アメノウズメは天照大神が
天の岩戸に隠れたときに
岩戸の前で踊って
アマテラスの気を惹いた
と神話にありますが
そういった意味では
アメノウズメも踊り子という
ことになります

今でも神社では神事の際に
榊(さかき)や笹(ささ)
あるいは鈴を持って
巫女さんが踊ったりしますが
これはかなり古い歴史が
あるのかもしれません

2019年11月5日火曜日

志免町の古墳

昨日紹介した亀山古墳以外の
志免町の古墳と出土品を紹介しておきます

国の指定史跡、七夕池古墳

埋葬時期が西暦300年後期頃で
しかも女性というのは興味深い
神功皇后をついつい連想してしまう・・
神功皇后ゆかりの宇美八幡宮が
鎮座する宇美町はすぐ近く・・

盗掘がほとんどなされておらず
出土品が多いの貴重



以下、その他の古墳と
出土品を紹介しておきます














箱式石棺墓
YouTube 動画ご覧下さい







以下はさらに古い時代のもの