2014年5月25日日曜日

古い大阪鉋 源兵衛と勘兵衛を仕事で使う

昨日紹介した古い大阪鉋
源兵衛寸六と勘兵衛寸二を
仕事で使ってみました
YouTube動画参照下さい



仕事で使った後の刃先の状態


刃先が磨耗しやすいセドロ材を
荒削りしてみました

削る手応えや音がかなり違いましたが
動画で音の違いは
感じてもらえたでしょうか・・
源兵衛は1枚刃ですが
切れが鋭いので
引きは重く感じました

勘兵衛は二枚刃ながら
滑らかな削り感でした

源兵衛の動画撮影後の刃先の状態
やや刃先が磨耗していますが
切れに影響は及んでいません

こちらは勘兵衛
源兵衛よりも刃先の磨耗が顕著ですが
こちらも切れは止んでいません

その後、上の四丁を使ってセドロ材を
荒削りしてみました
左2丁が荒削りに使った勘兵衛と源兵衛
その右は中仕工なかしことして使った
古い会津鉋・重道寸六
右端は仕上げ削りに使った田圃義廣二寸
どちらも鋼は玉鋼と思われます



その後の刃先の状態(源兵衛)
まだまだ大丈夫です

勘兵衛は源兵衛に比べると
刃先の磨耗が激しいですが
まだ切れは止んでいません


2014年5月24日土曜日

古い大阪鉋 源兵衛と勘兵衛


古い大阪鉋、源兵衛(後代と思われる)
寸六を手に入れました
鋼は玉鋼たまはがねで地鉄jiganeは
よく練れた和鉄
画像右は以前紹介したことのある
勘兵衛・寸二(明治頃)


源兵衛の地鉄は江戸後期(新々刀期)の
刀の地鉄のようによく詰んでいます

この鉋身を中研ぎに三種類の
沼田砥を使って研いでみました
最初に使ったのは右端の粗めの沼田虎砥
一見、天草備水・赤虎のようにも
見えますが、縞の感じは
九州ものではないように思えます
このような沼田砥には
初めてお目にかかりました

中央は本沼田砥(粒度約1000)
左は通称 瓢箪ひょうたん沼田で
本沼田の下の層になるということです
粒度は細かく1200番といった感じです


粗めの沼田砥(水に濡れていない状態)

水に濡れた状態


カチリとした硬さですが良く反応し
心地よく研ぐことができます

地鉄に荒めの傷が付きますが
粒度300~400といった感じ
鋼にはそれほど及んでいません

次に使ったのは浄教寺砥

研ぎ傷が浅く均一で美しく研ぎ上がります
浄教寺砥が刀剣研ぎに
使われていたのが納得できます

そして本沼田砥

やや反応が鈍いので
目起こしをして研ぎ始めました

粒度は浄教寺砥よりも
細かい感じなのですが
研ぎ傷は荒く付きます
この研ぎ傷の付き方は
砥沢砥など群馬県産の中砥
全般に見られるものです

これは瓢箪沼田


これも目起こしをして研ぎました

これも粒度が細かい割りに
研ぎ傷が荒く付きます

仕上砥ぎの最初は
中継ぎとして京都梅ヶ畑
鳴滝産の戸前を使いました
やや柔らかめで仕上砥としては
粒度も荒めなので
中継ぎとして威力を発揮してくれます
青砥(中研ぎ)の針気の
多いものを使うよりは
目〆系の天然中砥で
細かく研ぎ上げておいて
この鳴滝戸前のような
粗めの仕上砥で研いだ方が
効率が良いように感じます

参考までに、一昔前までは
鳴滝といえば梅ヶ畑産のものを
総称して呼んでいました


地・刃ともに微塵に曇ります

最後の鏡面仕上げには
滋賀県高島産の戸前を使いました

カチリとした硬質な研ぎ感で
高島産独特のややザラザラとした
手応えがあります

鋼は鏡面に研ぎ上がりますが
地鉄にはやや傷が残ります


よく使い込まれていて
鋼があと1cmほどしか
残っていません・・

砥ぎ終えた状態

こちらは同じ高島産戸前で
研ぎ上げた勘兵衛鉋

鉋かけの様子は

2014年5月22日木曜日

明治10年第一回内国勧業博覧会出品解説書

以前紹介した(参照下さい)
明治10年第一回内国勧業博覧会の出品解説の内
砥石の産地が掲載されている本を紹介して欲しい
という要望がありましたので
UPしておきます

明治前期産業発達史資料
これは昭和37年(1962年)に
復刻されたものです

砥石に関する解説は
第7集(1)に掲載されています

復刻版で紹介されている
明治時代に出版された原本

明治30年代に撮影された
博覧会の様子

同じ頃関東で撮影された
鎌研ぎの様子



砥石の産地が記載されている頁

砥石に関する記述のところを現代語風に読み下しておきます
間違いなどありましたら
ご指摘お願い致します

中砥石各種
各県、諸州から産出されているものを蒐集しゅうしゅうした
砥石を産出する地は、
おおむね運輸の便が悪いので
運搬が容易な土地では
古来から採掘されていて
すでに掘り尽くされている
所もある
このことから、中砥石が古来から必需品だったことが伺われる

あわせ砥石 青砥石
精砥あわせと
剃刀(カミソリ)砥のことである
青砥は煙草たばこ屋が
主に使っている
これらの砥石は泥磐層中に
産するので精砥の色はたいてい黄色あるいは褐色で
青みを帯びているものもある
青砥は暗い青一色で
出ることはない

白精あわせ砥石
白精砥石の最上のもの
とされるのは
降灰石にまれに産する
三河名倉砥のようなものである
この砥石が降灰層中に成立する造化法(生成過程)は
絶妙で驚嘆に値するものである

以下、その点を
詳細に解説すると
降灰石が堆積している
地面の面積は
その堆算法に随えば、日本列島の面積の約10分の1~2である
その層は大抵他の諸石の
上部に有り
広大な面積を占めている
そのなかで将来的に磐石に
化成するであろうと
思われる層は陸奥北郡
二戸郡の全地域にある
それは一望できる長丘を
形成していて
場所によっては長さは400kmほどあり
概ねおおむね新しく降灰し
堆積したものである
当時、降灰で海が陸になったことも知られている
その火山は西には
岩城山(岩木山・津軽富士)

南に岩鷲山(南部富士)、北には(焼山・恐山)がある
他にはこれらの地から40km~80km地点にも火山が多く
長丘を形成する要因となったものと思われる
この他、火山地域で降灰が岩石の脈を成すときは
20km~80kmに及ぶ
この岩石生成は火気造化によるものなので
石中に生物の痕跡は見られない

第13号 降灰石
三河国 設楽したら郡川合村
採掘され始めたのは
寛永年間とされ
それ以来、時に採掘が止められたり、再開されたりしてきた
現在、地元の人によって
採掘されているが
世の中に広く行き亘る
ほどではない

砥石の脈は20余りのはっきりとした層になっていて
その層は厚いところと
薄いところがある
その中で緻密で鋭利なものが
あわせ砥として使われる
この砥石は火山作用により
生成されていて
それを図によって示しておく

この砥石の効用は刀剣を研ぐには最上とされていて
刃の研ぎ上がりは霜が降りたような艶となり
素晴しい艶を発するので砥石の価値はたいへん高い


三河白名倉砥石の層の図

上磐
メシロ(目白):一寸五分(4.5cm)
テンジョウ(天井):
二寸五分(7.5cm)
アツフタ(厚蓋の意味か?):
七寸(21cm)
ヤケン(薬研か?):五分
(1.5cm)
中砥石:一寸八分(5.4cm)
オオムシ(大ムシか?):五寸(15cm)
シモムシ(下ムシか?):
二寸五分(7.5cm)
上砥石:二寸(6cm)
カメ:五分(1.5cm)
トダ(イ砥台か?):二寸(6cm)
下磐