撥弦楽器製作家・田中清人の仕事、 趣味に関するブログ
Kiyondさん、おはようございます!!源さんもおはようございます!!Kiyondさんのお父様は鋳物職人さんだったのですね・・・私はお仕事している人が大好きです。どんなお仕事でもすばらしいと思います。いつかKiyondさんの工房に遊びに行かせてください。明太子もってお伺いいたします(^人^)
私が生まれたところは福岡市の多々良川近く、そこに6歳までいました。多々良といえば古代の製鉄に使われた送風装置のタタラのことです。7歳から18歳までは多々良川から数キロ離れた糟屋郡の別府というところに住んでいました。別府という地名は、やはり古代に金属精錬や加工をしていたとされるところです。糟屋郡には、大宰府の観世音寺の釣鐘と、同じ鋳型で作ったとされる京都の妙心寺の釣鐘を作った工房がありました。どちらも日本最古とされる釣鐘です。なぜか私は鉄や銅を製錬する場所に縁があるのです・・そのせいか、溶けた金属を見ると血沸き肉躍るのです・・
コメントを投稿
2 件のコメント:
Kiyondさん、おはようございます!!
源さんもおはようございます!!
Kiyondさんのお父様は鋳物職人さんだったのですね・・・
私はお仕事している人が大好きです。
どんなお仕事でもすばらしいと思います。
いつかKiyondさんの工房に遊びに行かせてください。
明太子もってお伺いいたします(^人^)
私が生まれたところは福岡市の多々良川近く、
そこに6歳までいました。
多々良といえば古代の製鉄に使われた送風装置のタタラの
ことです。
7歳から18歳までは多々良川から数キロ離れた糟屋郡の別府
というところに住んでいました。
別府という地名は、やはり古代に金属精錬や加工をしていたとされるところです。
糟屋郡には、大宰府の観世音寺の釣鐘と、同じ鋳型で作ったとされる京都の妙心寺の釣鐘を作った工房がありました。
どちらも日本最古とされる釣鐘です。
なぜか私は鉄や銅を製錬する場所に縁があるのです・・
そのせいか、溶けた金属を見ると血沸き肉躍るのです・・
コメントを投稿