2025年7月14日月曜日

謎に満ちた本能寺の変

 

織田信長が京都の本能寺で
明智光秀によって
暗殺されたとされる本能寺の変
このことについては
様々な歴史家さんたちによって
書かれてきているのは
皆様ご承知のとおり
当時の明智光秀の行動から
主犯は光秀ではない
とか、信長の遺体は
見つかっていない、とか
いや、遺体は発見されていて
首塚まである、とか・・
ところが上の画像の本の中の
「不可思議な国ジャポネ」
(1984年出版) では
当時のイエズス会の資料が
紹介されているのです
著者はポルトガル
コインブラ大学の歴史学者
オラロ•ケント女史

その一つでは
「テンカとよばれていた日本の
ノブナガがキョウ(京都)で
爆死をとげた事に関しては・・云々」
とあります
そして、このことについては
何人(なんぴと)の口をも
封じねばならなぬ
とも書かれてあるのです
これは第一級の資料と
言えるのではないでしょうか
当時、本能寺のすぐ近くには
イエズス会の教会があったので
そこで爆発音を
聞いた人もいたことは
想像に難くありません


本能寺図(信長墳も見える)
本能寺は信長の時代には
信長によって要塞化され
洛中における武器・弾薬庫にも
なっていたのは周知の事実です

本能寺の近くにあったとされる
イエズス会の三階建て教会図
三階建てなので近くにある
本能寺が丸見えになるのは遺憾
庇を設置せよ、と信長側は
クレームを付けたようです

京都にも居たことのある
ポルトガル人宣教師フロイスは
著書「日本史」では
信長の死に関しては
「毛髪一本残すことなく
灰燼に帰した」と記しているが
爆死とは書かれてはいない
これは、先に紹介したように
「このことについては
何人(なんぴと)の口をも
封じねばならなぬ」
ということの影響と
捉えることもできます

浮世博史氏の著書
「さらにくつがえされた
戦国・安土桃山・江戸史」の一部
他の歴史家の著書では
本能寺が爆発炎上した、ということは
書かれていませんが
浮世博史は「本能寺は単に焼失
したのではなく
中にあった弾薬に引火して
爆発・炎上したと考えるのも
おもしろいかもしれません」
と控えめに書かれています

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