大黒天は元はインドの神とされていますが、古代出雲の最後の王とも云える大国主命と習合されています。これは平安時代以降のことのようですが、なぜ習合されたのか興味が湧くところであります。
大黒天の持ち物としてもう一つ、左手で背に担いでいる袋がありますが、これは元々は砂金を運ぶためのものだったという説や、銅鐸民族である古代出雲国が古墳文化を持った民族により奴隷化された際に、古墳造営のために土運びに使ったという説などがあります。
この銅鐸は芦屋市の打出小町から出土しているものですが
表面に流水紋のある古形銅です。
高さ45.5cm 重さ4.7kg
因みに、大宰府の観世音寺には日本最古とされる大黒天立像(木造)が宝蔵されていますが、この像では小槌は持っていません。顔も福々しい笑顔ではないので、インドの神と習合される前の大国主かもしれません。
大黒天と習合された後は右手に小槌を持っていますから、これを使って山で採集した鉱物を入れていたということも考えられます。ということは、12日に紹介した岐阜県飛騨の位山(くらいやま)の岩に刻まれた槌の形をした古代文字と大国主命は何らかの関連があるのかもしれません。
先に述べたように、古代出雲国は銅鐸民族でしたが、それと同時に亀をトーテムとする民族でもありました。出雲大社をはじめ出雲の神社に亀甲紋の社紋が多いのはその名残と云えます(参照)。
これは敷衍して、亀という字が含まれる地名にも名残があるとも云えます。
私が7歳から18歳まで住んでいた福岡県の亀山という地名もそうだと思いますが(参照)、それを裏付けるようにこの地域では古代から金属精錬や加工が行われていました。また、以前紹介した春日市も近くにあります(参照)。このように、亀をトーテムとする銅鐸民族は当然銅の精錬や加工にも通じていたのですが、その後、大国主の国譲りの神話から伺えるように、新たに日本列島に入って来た民族により征服されす。それが白鳥をトーテムとする民族なのですが、これはおそらく朝鮮半島からやって来た最先端の製鉄技術と鉄加工技術を持った民族だったものと思われます。天日槍(アメノヒボコ)はおそらくこの民族だと思われますが、この民族が日本の古墳時代を創り上げていくわけです(参照)。
こういったことを考えてみると、日本で古くから歌い継がれてきた「かごめ かごめ」のなかに、「鶴と亀がすべった」という表現がありますが、これは意味が深いことになります・・
新國民社刊 鹿島曻著「倭と王朝」から転載
北海道で発見されている殷字が刻まれている石
小樽市と余市の境界付近で
発見されたということですが
発見されたということですが
鹿島曻氏はこの地域を殷をルーツとする
沖縄で発見されたもの
宮崎県西臼杵郡高千穂町に鎮座する
天岩戸神社で発見されたとされる岩蓋
文政四年(1821年)に発見されたということですが
小型の箱式石棺の蓋(ふた)石だったということです
石棺内には銅鏡七面と四個の土器が副葬されていたということで小型の箱式石棺ということと副葬品の銅鏡に大鏡が含まれていることから
時代は弥生時代後期頃と思われます
文字が刻まれた蓋石と石棺が
同じ時代とは限りませんが・・・
この岩戸文字が発見された後
明治八年(1875年)、大分県で上記(うえつふみ)が
発見され、そのなかの文字の解説により
この岩戸文字が解読されたということです
明治八年の読み
それみきみ みつみ お
ほえこれのうつはわ
ほのあかりのみことこれのあめのいわとに
こもりますときにあそひのそなえ
にまつるひとのおおみかかみわ
すめおおみかみのみたまとしてあめ
のいわやとにのこしもちいたししなる
をあめのいわやどのこれのきしにい
わもてよひらにたてて
かくしおくなり
昭和7年に記された
「高千穂古文字伝」より
田近長陽氏による読み
ソヂ ミキミカミツミカミケ
ミカトヲ(モ)ホエ コレノウツハワ
ホノアカリノミコトコレノ アメノイワトニ
コモリマストキノアソビノソナエニマツル
ヒトツノオ々ミカミワ
ハメヲ々ミカミノミタマシテ
アメノイアワトニノコシモチ イダシナルヲ
アメノイワヤドノコチノキシニ
イワモテヲヒラニタテ
カクシオクナリ
参考として
藤芳義男氏による解読
其それ 神酒みき 甕みか 水みづ 甕みか
神食みけ 甕みか と覚おぼえ 是これの 器うつはわ
火明命ほのあかりのみこと 是これの天あめの岩戸いわと
に 籠こもります時ときの遊あそびの供そなえ
に奉まつる 一ひとつの大おお御鏡みかがみわ
皇すめ大御神おおみかみの御霊みたまとして天あめの
岩戸いわとに残のこし持もち出いだししなるを
天あめの岩屋戸いわやどの 是これの岸きしに岩いわもて
四よ皮ひらに立たてて 隠かくし置おくなり
次に高橋良典氏による解読
祖母ゆ開かれつる神避さるヶ戸を掘り
これに無戸籠うつくまる
火明ほのあかりの御代みよに 天之岩戸へ籠こもります
時に阿蘇火のそば地震なゐへわたり
タカヒメの祖おや ツカヤリは
皇祖すめをやゆかりの蓋ふたつくりて
天之岩戸へ逃れき
地怒り唸うなるを 天之岩戸屋殿籠り
救へ岩守もりて 生きながらえたり
由来いはれを吐けり
平中芳明氏による解読
それ みきみ みつみ お
(相手側、満気身、密身、緒)
そちらは、気が満ちた御身、
きめ細かい綿密な御身、魂を繋ぐ緒
ほえ これの うつは わ
(誉、恵、こちら側、打つ、葉、和)
秀でた叡智の、こちらの、
心を打つ言葉が上手く混ざる
ほの あかりの みこと これの あめのいわとに
(誉、証、尊、こちら側、天岩戸)
秀でた証の尊 こちらの天の簡単には
動かない磐戸に
こもります ときに あそ ひの そなえ
(籠、時、彼方側、秘、備)
籠ります時に、こちらからもそちらからも
遠いあちらの密かな備えをする。
に まつる ひとの お おみ かかみ わ
(二、祀、尊、緒、御身、加佳味、和)
再び祀る時、尊き人の魂の緒、
御身に要素が加わり良い趣きに、
上手く混ざり和合する
すめおおみかみの みたま として あめ
皇大御神の御魂として
のいわやとに のこし もち いたし しなる
(岩屋戸、残、保つ、至、品)
天の岩屋戸に保管して成熟するように
を あめのいわやどの これの きしに い
(天岩屋戸、こちら側、居)
天の岩屋戸のこちらの側に居て
わ もて よひらに たてて
(和、以て、四方、盾)
協力して四方を護って
かくし おくなり (隠、置)
人の目にふれないようにして置く
他にもこういった解釈
もあります