これから2台の特注ギターの製作に
取りかかります
弦長635mm
横・裏板はMapleメープル材を使ってほしい
という要望
こちらの複雑な木目に虎杢交じりのものか
素直な虎杢のものか
どちらを使うか注文主に打診中
ニスを塗ると杢はもっと鮮やかになります
響板は30年以上寝かせたドイツ・スプルース
この画像は材質を確認するために
表面を少し削った状態ですので
まだ日に焼けた褐色部分が多いですが
接着して削り込んでいくと
さらに白くなっていきます
弦長640mm
響板は同じく30年以上寝かせた
ドイツ・スプルース
以下は平安時代後期に書かれたとされる「大鏡」から
気になるところを覚書としてUPしておきます
玄上という銘の琵琶が登場する件Kudari
当時の宮廷女性の教養の高さが窺い知れる件
この頃には紫式部による源氏物語は
世に出されていたので
そういった女性文学者が輩出された平安時代は
世界でも希に見る文化の高みに達していたと言える
朝鮮半島と九州北部、現在の福岡県との
海の中間地点にある壱岐・対馬
そこでの出来事
日本と新羅の関係を垣間見ることができる
以下は個人的な興味
青海波の舞(竜宮の舞)とはいかに・・
これから覆手の先端を接着し転手と柱を作っていく
接着完了
転手(絃巻き)の輪郭、出来上がり
五絃の覆手には柱を二本セットするので
一本作り足す
土台部分、出来上がり
これは柱部分
組み合わせて出来上がり
セットしたところ
ついでに修復中の古いマンドリンの
テール・ピンも作っておく
オリジナルはピンの頭の直径が大きいが、
これだと現在市販されている弦の留ループの
大きさと合わないので、現代仕様の頭にする
昨日13日は盆の行事を済ます
以下の写真は移動中の様子
月以外は走っている車中から撮影したもの
そして今日の工房の様子
修復中の古い琵琶の覆手(駒Bridge)を
四絃から五絃にする作業
古い琵琶の修復
いま滋賀県にある
綣(ヘソ)と鈎(マガリ)
という地名について
調べているのですが
その副産物とも言えるものを
覚書としてUPしておきます
上の報告書は
大正12年(1923年)に
発行されたものが
昭和51年(1976年)に
復刻されたものです
旧・水尾村は
サルタヒコに関係の深い
滋賀県高島市にあり
現在は高島市高島町鴨という
地名になっています
鴨稲荷山古墳から出土した
双魚紋の佩Hai
双魚紋については
以前ブログで
何度か述べていますので
これは滋賀県の三上山
(近江富士とも
呼ばれている山)
付近の古墳から
出土している魚紋の鏡
「着銀製魚」というのは
銀で象嵌しているので
しょうか・・
魚の形に色が付いているのは
魚の形が分かり易いように
こちらで画像処理したもの
これは福島県南相馬市
鹿島区寺内・小池地域にある
双魚紋の佩
その復元品
滋賀県と福島県の古墳から
同じようなものが
出土していることに
興味を覚えます
これは鹿島曻(のぼる)著
桓檀古記からの引用ですが
皇帝の権力のシンボルで
戦争の動員のための
符牒として使われた
とする説を紹介しています
これは平安時代後期に
書かれた大鏡の
魚袋gyotaiについての
記述の解説図
双魚紋が見られる
ここで書かれている
石帯sekitaiと魚袋が
現在の雛人形にも
付けられているのは
知らなかった
これは水尾村の鴨古墳から
出土した
沓(履・Kutsu)の図
魚形の飾りが
付けられています
これは奈良県の
藤ノ木古墳から
出土した沓(履)の復元品
水尾村出土のものと同様の
魚形の飾りが付けられている
そしてこれは朝鮮半島の
古代新羅(韓国・慶州)の
遺跡、天馬塚から
出土している銙帯Katai
に付けられている魚形の飾り
金冠と銙帯の全体の様子
杏葉Gyoyoと呼ばれる
装飾用馬具
これも馬具の飾りで
説明では蝶形と
されていますが
これはどう見ても
雰囲気があります
そして金製の指輪
新羅から出土している
指輪と同様のものが
福岡県の沖ノ島からも
出土しているのが興味深い
これは新羅製とされている
杏葉も出土していて
これも新羅製とされている
以上のことを少し考察すると
古墳時代は新羅系の
民族によって
日本列島は支配されていた
ということに
なりそうですね・・
魚紋は世界各地で
見られますが
双魚紋はペルシャ、インド、
そして東アジアで
散見されます
ついでにちょっと
調べてみたら
このようなものが見つかった
隼人紋のような流水紋は
日本の銅鐸にも見られるのが
ヨーロッパでは双魚紋は
見られないようですが
人魚の尾が双になっている
ものはあります
由来が知りたいところ・・
星座の魚座には
ありますが・・
それからギリシャ神話にも
登場するらしい