2009年12月7日月曜日

古代の製鉄 その7

古来から製鉄あるいは鍛冶を行う人々が信仰の対象としてきた神に、前回紹介した兵主神(ひょうずのかみ)の他に天目一箇神(あまのまひとつのかみ)」と「金屋子神(かなやごのかみ)」があります。古来から優れた砂鉄が採れることで有名な、播磨西部(兵庫県)千種(ちくさ)地方では、金屋子神は「カナイゴサン」と呼んでいたそうです。これは、古来から朱の原料である朱砂が採れる地域にある丹生(にう)神社を、播磨地方では「タンジョウサン」と親しみを持って呼んでいるのと同様の呼称だと思われるのですが、それだけ地元の人たちにとっては身近なものだったことが想像されるのです。因みに、朱砂は赤色の顔料として縄文時代から使われていいる朱、そして鍍金に欠かせない水銀の原料でもあるので、古来から重要な鉱物資源でありました。
そういうことですから、丹生神社は全国各地に存在し、
150カ所以上はあると云われています。丹生の「丹」も赤いという意味があります。丹生神社の代表的なものとしては紀伊国(和歌山県)丹生都比売神社が挙げられますが、比売という字が付くくらいですから、もちろん祭神は女神である丹生都比売(にうづひめ)であります。ここのところに私は大変興味を惹かれます。話をちょっと戻しますが、古代の朱砂産地として記録されているものとしては、古いところでは続日本紀に、近江国(おうみのくに・滋賀県)に金青を献上させたこと、また伊勢国(三重県)には朱砂と雄黄(硫化砒素)を、常陸(ひたち・茨城県)・備前(岡山県)・伊予(愛媛県)・日向(ひゅうが・宮崎県)は朱砂、安芸(あき・広島県)・長門(ながと・山口県)には金青と緑青を、豊後国(ぶんご・大分県)には真朱を献上させたということが記録されています。
参照:このサイト内で「朱」で検索してください。





2009年11月29日日曜日

髙村聡子さんのサロンコンサート

ソプラノ歌手の髙村聡子さんの
サロンコンサートに足を運びました
髙村さんは、8年間に及ぶイタリア留学を終え
今年の春に帰国されたということです

演奏が始まって、ピアノ伴奏のすばらしさに
まず驚きました。ピアニストは阪田みゆき さん
ピアノ・ソロではショパンとドビュッシーの曲が
披露されましたが、それもすばらしかった
ドビュッシーの曲を聴いていると
道中に目にした紅葉した丹波の山々が
心の中に巡り、サラサラと水の流れるような
旋律の美しさと山々の色の流れが重なり
えも言えぬ心持になったのです


髙村さんの歌声も美しい密度で
伸びやかに耳に届きます
サロンコンサートならではの
贅沢なひと時でした




道中の丹波の山は見事な紅葉でした・・


2009年11月14日土曜日

19世紀ギター・フェスティバル

今日は滋賀県大津市にある
おかげさまで、盛況の内に終えることができました
スタッフの皆様に、この場にてお礼申し上げます


二階の展示会場の様子

私の展示コーナーです

徳島県や石川県から来て下さった方も
いらっしゃいました
また、関東を拠点に活動されている
メンバーの方も来場下さり
今後の交流が期待されるところです

これはギタリスト松田晃明氏による
弾き比べの出番を待つ現代製作家による楽器
左から兵庫県の黒田義正氏作によるミルクール・タイプ
拙作の
ラプレヴォット・タイプ
名古屋の大西達郎氏作のウィーン・シュタウファー・タイプ
兵庫県の古楽器製作家
平山照明氏作によるパノルモ・タイプ

こちらの3台は19世紀オリジナルの名器です
左からフランスの楽器産地ミルクールで作られたもの
イタリア出身の父を持ちイギリスで製作していた
ルイ・パノルモ
フランスの製作家ラプレヴォット

今回の催しの様子は製作家の黒田氏のHPでも
速報として紹介されています

二部の演奏部門では
独自に開発された箱型ハープ(マリア・ハープ)
ギターによるアンサンブルも披露され
新鮮な響きに熱い注目を浴びていました
ギターを弾いているのは
マリア・ハープを製作された平山照明
弾いているギターも二階に展示されている氏の作品です
その左はマリア・ハープ開発者のマリア味記子さん

2009年11月12日木曜日

「古代の製鉄」続き その6

「古代の製鉄」の著者は、播磨(はりま)地方に散見される兵主(ひょうず)神社はアメノヒボコと関わりがあるとしていますが、その説に疑問を投げかけている研究者もいます。兵主神社はアメノヒボコの本拠地である但馬(たじま)に多くあるので、アメノヒボコと結び付けたくなるのは当然ですが、前回述べたようにアメノヒボコを受け入れなかった播磨国に兵主神社が存在する以上、無理があります。では、この兵主神とはいったいどんな神かということになるわけですが、その名を冠した神社が但馬に多く存在し、アメノヒボコと関わりがないすれば、それ以前からの鉄の神だったということになります。このことに関して、日本の古代祭祀の研究者である真弓常忠氏は、幕末の国学者である小山田與清説を見直す必要があるのではないかとしているのです。與清は「史記」の封禅書に記されている「兵主(神)は蚩尤(しゆう)を祀る、蚩尤は東平陸監に在り、斉の西境なり」という一節から、
兵主神は中国の武神である蚩尤であるとしているのです。「五帝本紀」では蚩尤は最も乱暴な武士で、鉄沙をもって兵器を作り、黄帝軍をさんざん悩ました、と記述されているほどですから、武神でもあり、鉄の神とされたのは当然かもしれません。
「穴師anase兵主神の源流」の
著者、皆神山すさ氏は
蚩尤はシュメール語のシムグが
源であるとし、朝鮮では朱蒙
であるとしています。

Wikipediaから引用

兵主神社がある所は、銅鐸の発見場所と重なることも見落としてはならないように思えますが、そうすると
サルタヒコとの繋がりもでてくるということになります。
また、河童・カッパのことをヒョウスベとも言いますが、これも兵主(ヒョウズ)から派生した言葉だとし、湖沼鉄と関連付ける説もあります。
真弓常忠氏は、兵主はヘシ、あるいはベシとも通じ、その言葉が東南アジアの鉄を意味する語である以上、兵主神は南方系海洋民によって運ばれ中国にも渡ったのではないかと推察されるのです。ということは、アメノヒボコ以前の古代但馬には、サルタヒコかニギハヤヒ勢力が居を構えていたということになり、但馬からは銅鐸が多く出土しているので、サルタヒコ集団の可能性が大きいということになります。


上に紹介した蚩尤は異様な容貌をしていますが、先代旧事本紀には
人皇・天皇の容貌が書かれていて、
初代天皇の神武天皇は身長が3m以上あり、頭に9cmほどの角があり長い尾も生えている。
また、二代目の綏靖suizei天皇には背中にウロコがあり、怒ると逆立つ。
七代目孝霊天皇は顔が長く龍のようで耳は逆立ち、その耳の後ろに白い鱗(うろこ)がある。また、胸にも9枚の鱗があり、
その九つの隙間から気を放っている。
十代崇神天皇は身長は1m90cm
額に10cmほどの青い角が1本ある。
下アゴの歯は長く鋭く上アゴの歯は短く丸く舌は長く鼻にまで届く。
十一代垂仁天皇は身長1m80cm。髪は右曲がりに頭を9周するように生え、頭頂部で輪のように巻いている。
また、両脇の下には金と緑の羽を持ち、肘にも同じような羽が根ざしていた。
とあります。

人皇16代・応神天皇の容貌。身長3mほど、目は弓を張ったような形、胸に72本の牛の尾のような青毛があり、長さは馬の尾の如し、とあります。

人皇17代・仁徳天皇の容貌。身長2.7m、耳は眉の上あたりから口の下に垂れ、足の指は長く手の指の如し。
これらの記述を見ると蚩尤や神武天皇などはレプタリアン系の
宇宙人のようにも思えます。
以上のことは古事記や日本書紀には書かれていませんが、不思議なことにサルタヒコの容貌は日本書紀に「鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いている」と記されています。
この記述は先代旧事本紀のサルタヒコの記述とほぼ同様なのです。
これはいったいどういうことでしょうか・・

2009年11月10日火曜日

玉響・たまゆら

他のものが見たいという
要望が寄せられましたので
4日のものも含めて大き目の画像をUPしておきます