2010年3月16日火曜日

古代の製鉄 その17

チグリス・ユーフラテス川流域の古代メソポタミア地域とその周辺には、最古の鉄が発見されているヒッタイトをはじめ、青銅の発祥地とされるシュメール、また金属工芸に長けていたスキタイといった、人類史上重要な地が連なっています。
それらの文化・文明が世界各地に広まっていくのですが、それは、そのような技術をもった民族が移動していった証拠でもあるわけです。その際、その民族に伝わる民話も一緒に伝承されていったということになります。その流れは、メソポタミアから東に進む場合と南に進む場合があり、東に進めば陸のシルクロードとして西アジアから中国大陸を通り、日本の北海道、あるいは九州に及びます。南に進めば海のシルクロードとしてインド大陸から海路で東南アジアを経由し、一方は中国大陸、朝鮮半島を通過して九州北部に、一方は南西諸島から沖縄を通って九州南部に入るルートがあったようです。どちらにしても文化の吹き溜りとされる日本列島に流れ着くわけです。
一例をあげれば、旧約聖書に登場するソロモン王(古代イスラエル王・在位紀元前965年~926年)がタルシン船団を組んで東南アジアから中国大陸にまで勢力を伸ばしていたということは史実だったようで、その影響は日本にまで及んでいたのは確実のようです。途中、マレー半島にも植民地をつくりますが、その地に伝承されていた「ワニだまし」の民話が、出雲神話の「因幡の白兎」に変化して伝わっているということは、昭和の初めから歴史学者により指摘されていることです。その他、東南アジアから伝わったとされる説話には、浦島伝説、海幸・山幸伝説など多く存在します。
そして、当然のことながら羽衣伝説や七夕伝説もそうなのです。
そうした伝播には当然製鉄技術も含まれているわけで、鉄の原料となる鉄鉱石や砂鉄あるいは湖沼鉄を採集する方法も各地に適したものが考え出されていったことも想像できるわけです。
湖沼鉄についてはこれまで日本ではほとんど研究なされていませんでしたが、ここ数年、鉄に関する本などで紹介されるようになってきています(参照)。
また、実際に為された実験も公開されています(参照)。





2010年3月15日月曜日

古代の製鉄 その16

川崎真治氏は、ワカタケルのワカは古代日本語で白鳥、あるいは鶴の意味があるとしています。つまりワカタケルは、白鳥をトーテムとした民族の神に選ばれた王ということになります。川崎説によると、その鶴をトーテムとした民族の源流はメソポタミアにあるというのです。氏の著書の一つに「日本語の発祥地はメソポタミア」というのがありますが、その内容は、歴史言語学のルールに則って古代メソポタミアの言葉と日本語は繋がっているというものです。
以前、随想で大野晋(すすむ)氏の説を紹介したことがあります(参照)。そこで紹介した、弥生時代にインド南東部から日本列島に移住してきた民族がもたらした、タミル語の源流はメソポタミアにあるとも云えるわけです。
「古代の製鉄その12その13」で述べた羽衣伝説も日本各地にありますが、これも発祥地はメソポタミアとされています。もう一つ例を挙げれば、七夕伝説もそうなのです。これら民間伝承に関する研究としては、水野祐氏や君島久子氏の優れたものがありますが、それらに目を通してみても、世界各地に伝わる羽衣伝説は、メソポタミアを中心に波紋のように広がっているということを確認できるのです。






2010年3月14日日曜日

優れもの発見 ハイブリッド鋼のノミ


優れものを発見しました

ハイブリッド鋼というもので作られたノミです
左は刃幅9mm、右は刃幅6mm
今使っているものが、ちびていて
そろそろ買い替えようと思っていたところだったので
試しに買ってみました
価格はノミとしては安価な四千円台
柄はグミの木が使われています


ところが研いで使ってみてビックリ
強靭ですばらしい切れ味なのです
軟材から堅材まで幅広く使え
コクタンのような硬い木を
ガリガリと削っても刃先はビクともしません
これは仕事で即戦力として使えます


身は全鋼になっているようですが
砥石の中砥、シャプトンの「刃の黒幕」#1000と
#1500では普通に研ぐことができます
ただ、仕上砥石(天然もの)はかかりが悪く
(名倉をかければもちろん使えますが)
数多い手持ちの仕上砥石のなかで
反応してくれたのは、上の京都・新田産の巣板と




この奥殿(おくど)産の巣板だけでした 



強靭な鋼でしかも全鋼ですが
研ぐのは比較的楽です


2010年3月9日火曜日

三田市から碧玉出土

兵庫県三田(さんだ)市の三輪餅田遺跡
管玉(くだたま)加工途中と見られる
碧玉(へきぎょく)発見されました

時代は弥生時代中期(約2千年前)ということで
専門家によると、原石を石鋸(のこ)などで
傷を付け角柱状に割ったものだということです

そしてこれは、以前紹介した
神戸市の雲井遺跡から出土した
碧玉加工品です 参照
三田市では翡翠(ひすい)で作られた
勾玉も出土していますが
新潟県の糸魚川(いといがわ)で産する
この翡翠がどのようなルートで兵庫県南部まで
運ばれたのか興味が湧くところです

これは三田市の北隣にある
ここ、篠山(ささやま)市で見付けた碧玉です
新発見の碧玉の記事では
碧玉は出雲(いずも・島根県)でしか
産しないとありますが
兵庫県の日本海側にも産地はあります
ここ兵庫県中部の篠山市でも
見付かるのですから
三田市にもある
可能性もあるのでは・・


2010年2月22日月曜日

古代の製鉄 その15

下に紹介した画像は、埼玉県にある崎玉(さきたま)稲荷山古墳から出土した鉄剣の一部です。
刀身の裏・表には金象嵌の文字が施されています。この文字列は日本の古墳時代を知る上で
貴重な資料となっていますが、文字とその解釈については様々な説があります。
一般的な解釈こちらのサイトが参考になると思いますので紹介しておきます。
まず、年代の手掛かりとなる「辛亥(しんがい・かのと い)年」ですが、これには西暦471年説と、
その一回り(60年)後の531年説があります。定説となっているのは471年ですが、この説は
鉄剣の銘文にある「獲加多支鹵大王(わかたける だいおう)」が雄略天皇と同一人物であるという説が元となっているものです。この説には異論ももちろん出されていますが、以前、
銅鏡文字解読の際に大きな示唆を受けた歴史言語学者の川崎真治氏の説に目を通してみると、獲加多支鹵=雄略天皇に納得せざるを得ない感があります。
ワカタケルという名は、古事記・日本書紀にも登場します。まず孝霊天皇記に「若建(わかたける)吉備津日子命」、孝霊天皇紀の方には「稚武(わかたける)彦命」。景行天皇記に
「若建吉備津日子」、同じく景行記に「若建王」、景行紀には「稚武王」 と「稚武彦王」。
次に雄略天皇記に「大長谷若建命」、雄略紀には大泊瀬幼武(わかたける)天皇とあります。
タケルという名は前回述べた日本武尊(やまとたけるのみこと)にも含まれていますし、日本武尊(古事記では倭健命)が出雲で討ったとされる出雲武もタケルです。ということはタケルという名には何か特別な意味がありそうです。川崎真治説では古代セム族の習俗で、神に選ばれた王のことだとされていて、この王は頭飾りを冠していたということです。
ということは古代中東の習俗が日本にまで及んでいたということになりますが、川崎説によると、
ワカタケルのワカもそうだということになるのです。