6月2日に、ニギハヤヒと関連のある地名である「日下(くさか)」を取り上げましたが(参照)、今回は「味間(あじま)について述べようと思います。味間もニギハヤヒに関連があるのです。2日には日下に関連がある地名として、
ここ丹波篠山(ささやま)に草ノ上(くさのうえ)という地名があることを紹介しましたが、味間という地名も存在するのです(地図参照)。
ニギハヤヒのことが詳しく記されている先代旧事本紀では、ニギハヤヒが
河内国(かわちのくに・大阪府)に天磐船(あまのいわふね)に乗って天降った後、大倭(やまと・奈良県)の鳥見白庭山(とみのしらにわのやま)に遷った際に、その地の長髓彦(ながすねひこ)の妹と結婚したことになっています。鳥見(とみ)という地名は、奈良県の三輪山付近の旧地名とされています。このことからも、ニギハヤヒが大阪の河内国と奈良の三輪山に関連していることが分かります(参照)。
そして、ニギハヤヒとナガスネヒコの妹の間に生まれた男児が味間見命(うましまみのみこと)とされているのですが、味間見命は宇摩志麻治命(うましまちのみこと)とも書き記されています。これが古事記では宇摩志麻遅となっています。
古事記はウマシマチという発音を漢字で書き記しているので、味間の訓を「ウマシマ・宇摩志麻」と解説していることになります。
このことを古代史研究家の谷川健一氏は、味間(ウマシマ)はもともと水間(ミヌマ=水沼)で、それが「ミマ」→「アジマ」→「ウマシマ」と変化したとしています。丹波篠山にある味間という所も古代は湿地だったということは地質学的にも証明されています。味間の近く、JR篠山口駅のあるところは大沢という地名です。これも湿地だった頃の名残の地名です(地図参照)。それから牛ヶ瀬。ですから、これらは谷川説を裏付けることになります。
ここ丹波篠山(ささやま)に草ノ上(くさのうえ)という地名があることを紹介しましたが、味間という地名も存在するのです(地図参照)。
ニギハヤヒのことが詳しく記されている先代旧事本紀では、ニギハヤヒが
河内国(かわちのくに・大阪府)に天磐船(あまのいわふね)に乗って天降った後、大倭(やまと・奈良県)の鳥見白庭山(とみのしらにわのやま)に遷った際に、その地の長髓彦(ながすねひこ)の妹と結婚したことになっています。鳥見(とみ)という地名は、奈良県の三輪山付近の旧地名とされています。このことからも、ニギハヤヒが大阪の河内国と奈良の三輪山に関連していることが分かります(参照)。
そして、ニギハヤヒとナガスネヒコの妹の間に生まれた男児が味間見命(うましまみのみこと)とされているのですが、味間見命は宇摩志麻治命(うましまちのみこと)とも書き記されています。これが古事記では宇摩志麻遅となっています。
古事記はウマシマチという発音を漢字で書き記しているので、味間の訓を「ウマシマ・宇摩志麻」と解説していることになります。
このことを古代史研究家の谷川健一氏は、味間(ウマシマ)はもともと水間(ミヌマ=水沼)で、それが「ミマ」→「アジマ」→「ウマシマ」と変化したとしています。丹波篠山にある味間という所も古代は湿地だったということは地質学的にも証明されています。味間の近く、JR篠山口駅のあるところは大沢という地名です。これも湿地だった頃の名残の地名です(地図参照)。それから牛ヶ瀬。ですから、これらは谷川説を裏付けることになります。