錫石は日本でも産しますが、産地はそれほど多くありません(参照)。丹波にも2カ所ほど産地があり、紹介したサイトで説明されている明延鉱山は、発見されたのが平安時代初めとされていますが、それ以前にも鉱石は何か掘られていたかもしれません。ですが一応、古墳時代以前には掘られていなかったとしておきましょう。
丹波のもう一ヶ所の産地は京都府亀岡市稗田野行者山にあります(地図参照)。この近くには大谷鉱山がありますが、そこは大正時代からタングステンを採っていたところなので、古代の錫の産地とは関係はあまりなさそうです。
問題は行者山の錫石です。行者山と名前が付いているくらいですから、古代から鉱石を求めて人が入っていたものと思われます。それから、その地に鎮座する稗田野神社です。この神社の由緒はかなり古そうで、また説明されている裏側には他の事実が隠されているような気がしてなりません。
それもそのはずで、この地、口丹波でもある亀岡市は隼人との深い関係があったのです(参照)。その隼人発祥の地とされる鹿児島県にも錫石の産地があるのは偶然とは思えないのです。
丹波のもう一ヶ所の産地は京都府亀岡市稗田野行者山にあります(地図参照)。この近くには大谷鉱山がありますが、そこは大正時代からタングステンを採っていたところなので、古代の錫の産地とは関係はあまりなさそうです。
問題は行者山の錫石です。行者山と名前が付いているくらいですから、古代から鉱石を求めて人が入っていたものと思われます。それから、その地に鎮座する稗田野神社です。この神社の由緒はかなり古そうで、また説明されている裏側には他の事実が隠されているような気がしてなりません。
それもそのはずで、この地、口丹波でもある亀岡市は隼人との深い関係があったのです(参照)。その隼人発祥の地とされる鹿児島県にも錫石の産地があるのは偶然とは思えないのです。
平安時代頃の郷域想定図です