前回のコメントで指摘があったように
私も隼人発祥の地は、鹿児島県の大隅半島と薩摩半島の付け根にあ
る隼人町近辺だと思っていました(参照地図)
そのように説明されている歴史書もあるくらいです・・
ところが今回、錫の産地である薩摩半島の錫石の産地を調べていて
錫産地の錦江高原から錫山街道を西に10数キロ行った所にある
阿多地区が(参照地図)どうも阿多隼人発祥の地
である可能性が強くなってきました
現在の隼人町は昭和4年(1929年)に改称されたもので
それ以前は西国分村だったということです
阿多はもともと吾田と書かれていたようですが
地元では日本で初めて稲作を行った所とされていて
それは猿田彦が持ってきたと言われています
猿田彦といえば、銅鐸民族の代表的な神でもあるのですが
鹿児島県では今のところ銅鐸は発見されていないようです
ところが、この銅鐸は
鹿児島県から出土しているとされる
謎の銅鐸なのです・・
これは、文化人類学者の加治木義博氏が
「日本人のルーツ」という本で
紹介しているものです
それ以外ではほとんど見かけません
銅鐸好きの私から見ると
一般的な銅鐸とはかなり異質です
周囲の装飾に明らかな隼人紋が見えるので
(参照:この頁の九段目)
東南アジア経由で日本に入ってきた
ものだと思うのですが
もし、この銅鐸が阿多地域で
出土しているとすれば
その地で作られた可能性も出てきます
因みに、これは古代インダス文明の地
モヘンジョ・ダロから出土している装身具です
隼人紋と同じですね・・
時代は紀元前2600~1800年