2010年8月7日土曜日

不思議な符合(隼人と錫)その5

古代インダスの遺跡から出土した青銅製品の
成分分析されたデータを
紹介しておきます
東方出版:「古代インドの科学と技術の歴史」から部分転載






以下参照サイトを挙げておきます
他にご存じの方はご教示お願いいたします

2010年8月4日水曜日

不思議な符合(隼人と錫)その4

もう一度、鹿児島県出土
とされている銅鐸を
紹介します


そしてこの二つの銅鐸は
左が福井県から
出土したもので
右は徳島県から出土したもの
共に国立歴史民族博物館に
所蔵されているものです
このように大型でエラ部に装飾が付いているものは
銅鐸が作られた時代の
終末期に見られます
ということは、上の
鹿児島県出土とされる
ものはエラ部の装飾が
多いので終末期のもの
なのでしょうか・・
残念ながら大きさが
分からないので
何とも言えないのですが
高さが50cm以上なければ
終末期ではないとも言えます
それに加え
形状が日本の銅鐸
らしくないのが
何とも不思議で


この古代中国の
三星堆遺跡から出土している銅鐸状のもののように
日本銅鐸のルーツととらえた方が無難のようです
東南アジアの銅鼓
銅鐸のルーツとする
説もありますが、ちょっと
無理があるように思います

2010年8月2日月曜日

不思議な符合(隼人と錫)その3

前回のコメントで指摘があったように
私も隼人発祥の地は、鹿児島県の大隅半島と薩摩半島の付け根にあ
る隼人町近辺だと思っていました(参照地図
そのように説明されている歴史書もあるくらいです・・
ところが今回、錫の産地である薩摩半島の錫石の産地を調べていて
錫産地の錦江高原から錫山街道を西に10数キロ行った所にある
阿多地区が(参照地図)どうも阿多隼人発祥の地
である可能性が強くなってきました
現在の隼人町は昭和4年(1929年)に改称されたもので
それ以前は西国分村だったということです
阿多はもともと吾田と書かれていたようですが
地元では日本で初めて稲作を行った所とされていて
それは猿田彦が持ってきたと言われています
猿田彦といえば、銅鐸民族の代表的な神でもあるのですが
鹿児島県では今のところ銅鐸は発見されていないようです

ところが、この銅鐸は
鹿児島県から出土しているとされる
謎の銅鐸なのです・・
これは、文化人類学者の加治木義博氏が
「日本人のルーツ」という本で
紹介しているものです
それ以外ではほとんど見かけません

銅鐸好きの私から見ると
一般的な銅鐸とはかなり異質です
周囲の装飾に明らかな隼人紋が見えるので
参照:この頁の九段目)
東南アジア経由で日本に入ってきた
ものだと思うのですが
もし、この銅鐸が阿多地域で
出土しているとすれば
その地で作られた可能性も出てきます


因みに、これは古代インダス文明の地
モヘンジョ・ダロから出土している装身具です
隼人紋と同じですね・・
時代は紀元前2600~1800年

モヘンジョ・ダロといえば
例の額に青銅製のリングを付けている神官像が出土している所なのです
参照


2010年8月1日日曜日

2010年7月29日木曜日

丸尾山砥石恐るべし その3

京都亀岡の丸尾山産仕上げ砥石を
新たに手に入れました


これは「千枚」層 のものです
この層のものは持っていないので
ぜひ試したかったのです
丸尾山産としては硬口ですが
しっとりとした研ぎ心地です






硬口の良質な仕上げ砥石は
このように鉄の華が見事に散ります
研磨力も強く、「刃の黒幕#1500」の傷が
あっという間に消えていきます
研ぎ汁が邪魔になることもなく
砥石の底力を十分感じることができます
これまで多くの丸尾山砥石を使いましたが
これが一番のお気に入りになりそうです
小振りの原石ですから長さは短く不定形ですが
私はそんなことは気になりません






研ぎ上がった寸八鉋の身
鋼は安来鋼の青紙だと思いますが
地・刃共に見事に冴えわたっています
こういった一般的な刃物でしたら
1分も研げば実用上の仕上ができます
これには大変助かります

このようなすばらしい砥石が
存在するということ
そして、その砥石を掘り出す人が
いてくれるということに
思わず手を合わせてしまうのです

この砥石を使った研ぎの動画(You Tube)