中国遼寧省(地図参照)は朝鮮半島の付け根に位置していて、三つ巴紋の銅戈(どうか)(参照)が出土した戦国時代(紀元前403~221年)は燕(えん)の国に属し、長城を境に
東胡と接していました。次の秦時代(紀元前221~207年)と漢時代(紀元前206~紀元220年)もやはり北限として長城を境に北に匈奴(きょうど)、東は萁子朝鮮(きし・ちょうせん)に接していました(参照)。
この図は紀元前3世紀の秦代から3世紀の魏代の中国人による東方異民族観(井上秀雄著「古代朝鮮」より部分転載)ですが、遼寧省付近は秦代には濊(わい)、漢代には倭(うばい)とされていたようです。濊も倭は同じ民族(発音も似ています)で、日本列島にも及んでいたという説が今では多く見受けられますが、戦国時代の遼寧省から出土した銅戈に三つ巴紋が鋳込まれているということは、秦代以前から朝鮮半島の一部と遼寧省を含む地域は日本列島と同じ民族圏だったということの裏付けとなるのではないでしょうか。
ということは契丹文書(参照・七段目)に記されているように、紀元前後の朝鮮半島の一部と日本列島は同じ民族圏だったということになるのです。
燕国の燕(えん)は
このような想像上の四足の神獣でもあります