2011年1月14日金曜日

不明材・・


現在、19世紀ギター ラコート・タイプ
製作していますが



 この裏板と横板の樹種が不明なのです・・
入手先の材木店でも判らない
ということですからお手上げです

現在はアフリカなどから多くの種類の木が
入って来ていてそれを扱う業者も
覚えるのが大変のようです


この材は、一見ブビンガのようにも見えますが
質感や匂いなどは明らかに違います
ブビンガとマホガニーと桜を合わせて
3で割ったような感じですかね・・
ご存じの方はぜひご教示をお願いいたします

やや荒い質感ですが、複雑な杢が出ていて
ニスの塗り方によっては
面白い効果が期待できそうなので
試作をしてみました

横板がうまく曲がるか心配でしたが
なんとかうまくいきました
問題は鉋の刃がやられやすい
ということですね・・
小刀やノミで削る分には問題ないのですが
鉋は刃先を擦るように使うので
どうしてもやられやすいのですね・・
ハイス鋼のものでも少ししか
もってくれないので苦労しました・・

出来上がった音
YouTube動画参照下さい


2011年1月13日木曜日

砥石の不思議 その3


今回、新たに手に入れた天然仕上砥石(本巣板)
産地は京都梅ケ畑地区大突産(地図参照)のもの
購入した「さざれ銘砥」によると
大突から菖蒲にかけて掘られていた
裏大突という間府だということです 
参照





使ってみてビックリ
ほどよい硬さで反応良く
かなり荒い研ぎ応えなのですが
仕上がりは緻密で
鏡面近くまで仕上がっているのです
ここまで荒い研ぎ応えの仕上砥には
初めて出会いました

同じ間府の内曇砥(天上巣板)も
何枚か持っていますが、硬さはほぼ同じですが
研ぎ心地は緻密で、仕上がりは曇ります
同じ産地の砥石とはとうてい思えません
砥石というものはほんとうに不思議です

2011年1月11日火曜日

特注仕様19世紀ギター 二種

これから製作していく2台の19世紀ギター
どちらも特注仕様です

 こちらは初期ミルクール・タイプ(参照
ペグヘッドで弦長は630mm





こちらはラコート・タイプ(参照
これも弦長は630mmでペグヘッド仕様です

どちらも響板のヨーロッパ・スプルースは
30年近く寝かせていたものです



2010年12月31日金曜日

サルタヒコとカモ氏

前回述べた葛城山(奈良県)には、神武東征以前に賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)が勢力を持っていた、と
山城国風土記逸聞(参照)に記されています。後に
賀茂建角身命は八咫烏に化身して神武を導いたという有名な話になるわけですが、後の賀茂氏の元祖でもあるわけです。カモの他の当て字としては、加茂、加毛、甘茂、鴨などありますが、ここ丹波篠山にある居籠神社(いがも)参照)のイガモはカモとは関係があるのでしょうか、知りたいところです。
葛城山がある大和(奈良県)にはもう一つ三輪氏という古豪が存在します。三輪氏については「碧玉と九鬼水軍」で少し触れましたが(参照)、祖はニギハヤヒです。
つまり葛城の賀茂氏と三輪山の三輪氏は同族ということになります。
賀茂氏は出雲風土記や記・紀では賀茂神戸(かも かんべ)として記載されていますが、出雲の大国主の国譲りでは仲介役として登場しています。
前回紹介した、大和国栖(くず)の主である一言主から
派生したとされる事代主(ことしろぬし・言代主)は、出雲の賀茂神社の主祭神として祀られていますが、事代主は託宣を司っているとされていますので神戸(かんべ)の役割を果たしていたようです。





2010年12月27日月曜日

葛城山と尾張

大阪と奈良の間には葛城山(かつらぎさん)がありますが、古事記では、この山に行幸に行った雄略天皇(5世紀とされる)が葛城山の主である一言主(ひとことぬし)と遭遇する話が記されています。
この葛城国の主は大物主系の物部氏(もののべのうじ)という説があります。もしそうだとすると、尾張連(おわりのむらじ)と熊野連の祖は葛城国ということになり、大物主は
ニギハヤヒと同義ですから、前回述べた吉野の国栖
(くず)族と同族ということになります。それを裏付けるように、尾張連と熊野連は大海人皇子を支援しているようです。
新撰姓氏録では尾張連は火明命(ほあかりのみこと)を祖としていますが(参照)、火明命はニギハヤヒと同義です。
また、熊野連の熊野という地名は以前紹介した九鬼家(参照)の出自地でもあり、やはり大物主系です。

5世紀頃の東海地方は大和王権の軍事的拠点とされていたようで、日本書紀のヤマトタケル東征譚では、
ヤマトタケルに従った者として、美濃(岐阜県)の弟彦公(おとひこのきみ)、伊勢(三重県)の石占横立(いしうらのよこたち)、尾張(愛知県)の田子稲置(たごのいなぎ)、乳近稲置(ちじかのいなぎ)の名が記されています。
稲置は稲城とも書かれますが当て字はともかく、イナギとは紐を使った投石(参照)を得意とした兵集団という説もあります。日本書紀では異佐誤(いさご)と記していますが、日本語では石弾のことを礫(つぶて)とも言います。
川崎真治説によると、イサゴや石・イシは紀元前3000年頃のメソポタミアのウル語あるいはシュメール語の
アサグやアスクが語源であるとしています。