先日紹介した福岡県春日市にある「奴国の丘歴史資料館」の近くには、須玖岡本遺跡という弥生時代の遺跡があります。「須玖」はどう読むのですか?と資料館の担当の方に尋ねたら、本来は「スグ」と読むのだが、地名の須玖は地元の人は濁らない「スク」と言う人が多いということでした。考古関係の資料などでもルビは両方見られますが、資料館の方の話では須玖はもともと村主(すぐり)だったものが平安時代にスグに変えさせられたということでした。
新撰姓氏録(参照)では、村主は氏族名と姓(かばね)で多く見られますが、ほとんどが渡来人とされています。新撰姓氏録の説明では、姓の村主は「葦屋村主同祖、意寶荷羅支王之後也」とされています。「意寶荷羅支」は、明治時代の栗田寛による考証では「オホカラキ」とされていますが、それについての説明はなされていません。それから、昭和時代の佐伯有淸の考証では、意寶荷羅支の他の出典に触れているだけで解説はなされていません。読みは栗田寛説を踏襲し「オホカラキ」としています。
神話考古学のパイオニアである高橋良典氏によると、新撰姓氏録に載せられている、布都久呂(フツクロ)、大新河(ダイシンガ)、大売布(ダイメプ)、麁鹿火(アラカヒ)、椀子王(ワンコ王)、殖栗王(ショックリ王)、来目王(クルメ王)、男大迹(ヲオフト)、億計(オケ)、誉田(ホムダ)、伊利須(イリス)、伊理和須(イリワス)、麻弖位(マテイ)、宇賀都久野(ウカツクヌ)、管原(クダハラ)、鵜濡淳(ウジュヌ)などは、古代インドのデカン高原一帯の地名や人名と重なるとしているのです。
それから推察すると、意寶荷羅支王(オホカラキ王)はマハークル王のことではないかと思われるのです。
マハークルとは古代インドのクル族の大王という意味で、マハーは偉大なという意味があるとされています。そして、このクル族はインドで初めて鉄器を用いた部族とされているのです(参照)。
新撰姓氏録の漢字の当て字は、漢字の意味はほとんど関係なく、ただ発音の当て字ですから、意寶荷羅支にどのような発音を当てていたのか推察が必要になります。先に紹介したように、明治時代の栗田寛と昭和時代の佐伯有淸の解釈ではオホカラキとしていますが、アナグラム的な解釈でマハークルと当てられないこともないと思うのです。
新撰姓氏録(参照)では、村主は氏族名と姓(かばね)で多く見られますが、ほとんどが渡来人とされています。新撰姓氏録の説明では、姓の村主は「葦屋村主同祖、意寶荷羅支王之後也」とされています。「意寶荷羅支」は、明治時代の栗田寛による考証では「オホカラキ」とされていますが、それについての説明はなされていません。それから、昭和時代の佐伯有淸の考証では、意寶荷羅支の他の出典に触れているだけで解説はなされていません。読みは栗田寛説を踏襲し「オホカラキ」としています。
神話考古学のパイオニアである高橋良典氏によると、新撰姓氏録に載せられている、布都久呂(フツクロ)、大新河(ダイシンガ)、大売布(ダイメプ)、麁鹿火(アラカヒ)、椀子王(ワンコ王)、殖栗王(ショックリ王)、来目王(クルメ王)、男大迹(ヲオフト)、億計(オケ)、誉田(ホムダ)、伊利須(イリス)、伊理和須(イリワス)、麻弖位(マテイ)、宇賀都久野(ウカツクヌ)、管原(クダハラ)、鵜濡淳(ウジュヌ)などは、古代インドのデカン高原一帯の地名や人名と重なるとしているのです。
それから推察すると、意寶荷羅支王(オホカラキ王)はマハークル王のことではないかと思われるのです。
マハークルとは古代インドのクル族の大王という意味で、マハーは偉大なという意味があるとされています。そして、このクル族はインドで初めて鉄器を用いた部族とされているのです(参照)。
新撰姓氏録の漢字の当て字は、漢字の意味はほとんど関係なく、ただ発音の当て字ですから、意寶荷羅支にどのような発音を当てていたのか推察が必要になります。先に紹介したように、明治時代の栗田寛と昭和時代の佐伯有淸の解釈ではオホカラキとしていますが、アナグラム的な解釈でマハークルと当てられないこともないと思うのです。
福岡県春日市須玖近辺から出土している
鉄矛、鉄戈、鉄剣と銅剣
同じく銅剣とガラス製勾玉