兵庫県篠山市西岡屋にある
ヤケヤノ坪遺跡と西岡屋遺跡の
現地説明会に足を運びました
これは今回出土したものの中で最も注目されている、ヤケヤノ坪遺跡で発見された鉄斧の一部とされるものですが、時代は紀元100年頃だということです。
以前述べたように、この頃は北部九州王国(福岡県北部)、出雲王国(島根県)、吉備王国(岡山県)、丹後王国(京都府北部)が各地で同時に勢力を誇っていた時代で、その象徴となるものは鉄器でした。それが古代丹波の南に位置する篠山から出土したことの意義は大きいものと思われます。というのは、一般的に古代丹波は日本海側の丹後も含まれていたとされているのですが、鉄斧が出土した今回の遺跡には播磨系の土器も発見されているのです。ということは、弥生時代後期のこの方形周溝墓に埋葬されていた人物は播磨(兵庫県南部)との関係が強かったという見方もできるわけで、その人物に副葬された鉄斧も播磨からもたらされた可能性があるわけです。
それから、丹後で出土している内行花文鏡や貨泉、
陶塤(とうけん)が篠山ではまだ発見されていないというのも引っかかります。ですから篠山は播磨系だった可能性があることになり、しかもルートは西に進む篠山川沿いではなく、南に下る武庫川沿いだったということになりそうです。篠山川下流に位置する丹波市山南町では丹後系の土器が出土しているので、このあたりは丹後の勢力圏であったことが考えられるのです(参照4段目)。
しかし時代は3世紀頃とされているので、やや無理があるのですが・・。
それからこれも以前に述べたことですが、武庫川を南下するルートは、銅が採掘されていた味間から白髪岳~酒滴神社~三田市を経由して西に進み播磨に至るものです。このことはこれまで三回にわたって述べてきた「不思議な符合 飛騨の位山と芦屋市」とも関係してくることでもあるのです。
以前述べたように、この頃は北部九州王国(福岡県北部)、出雲王国(島根県)、吉備王国(岡山県)、丹後王国(京都府北部)が各地で同時に勢力を誇っていた時代で、その象徴となるものは鉄器でした。それが古代丹波の南に位置する篠山から出土したことの意義は大きいものと思われます。というのは、一般的に古代丹波は日本海側の丹後も含まれていたとされているのですが、鉄斧が出土した今回の遺跡には播磨系の土器も発見されているのです。ということは、弥生時代後期のこの方形周溝墓に埋葬されていた人物は播磨(兵庫県南部)との関係が強かったという見方もできるわけで、その人物に副葬された鉄斧も播磨からもたらされた可能性があるわけです。
それから、丹後で出土している内行花文鏡や貨泉、
陶塤(とうけん)が篠山ではまだ発見されていないというのも引っかかります。ですから篠山は播磨系だった可能性があることになり、しかもルートは西に進む篠山川沿いではなく、南に下る武庫川沿いだったということになりそうです。篠山川下流に位置する丹波市山南町では丹後系の土器が出土しているので、このあたりは丹後の勢力圏であったことが考えられるのです(参照4段目)。
しかし時代は3世紀頃とされているので、やや無理があるのですが・・。
それからこれも以前に述べたことですが、武庫川を南下するルートは、銅が採掘されていた味間から白髪岳~酒滴神社~三田市を経由して西に進み播磨に至るものです。このことはこれまで三回にわたって述べてきた「不思議な符合 飛騨の位山と芦屋市」とも関係してくることでもあるのです。
播磨系の土器
これらは地元で焼かれたもの
だということです
ヤケヤノ坪遺跡
鉄斧は周溝墓3から出土したということです
鉄斧は周溝墓3から出土したということです