2011年12月20日火曜日

工房の様子 猫の手も借りたい



 ネコの手も借りたいのに・・




ネックの加工中・・







荒削りが終わりました
この後サンドペーパーで仕上げます




2011年12月16日金曜日

楽器製作の端材でオブジェ その3



端材でオブジェを作ってみました
今回のものはシルバー・アクセサリー作家の
ところへ行くことになりました


2011年12月15日木曜日

丹波篠山 モンゴルの里


モンゴルの里にお邪魔しました

ラム肉のモンゴル風シャブシャブは最高
私は子供の頃、羊の肉はよく食べていたので
独特の匂いは平気なのですが
この肉はまったく匂いがありません
しかも食べ易く胃にもたれないのです
胃にもたれないのは猪肉と同じですね
数日前に食べたボタン鍋よりも
こちらの方に軍配を上げたいところです・・


オーナーの息子さんはまだ14歳だということですが
モリンホール(馬頭琴)の名手であります
11歳のときにはCDも出しているということで
店内で販売もされています
モンゴル平原の広大な空気を振わせ
遥か遠くの空に消え入る響き・・
最初に奏される「私はモンゴル人」という曲は
日本人である私の胸にも深く沁みわたりました


オーナーのスーチンドロンさんに
流暢な日本語でモリンホールの
説明をしてもらいました


竹で作られた、この美しく装飾された道具は
モンゴルの人々にとって
必要不可欠なものだそうですが
さて、これは何でしょうというオーナーの問いに
私は最後まで正解できませんでした

これはモンゴルの厳しい冬に使われるもので
馬を走らせた後、馬の汗を拭うものだそうです
拭うというよりも掻き飛ばすのだと思いますが
これをやっておかないと零下数十度の厳寒の中
汗がたちまち凍って馬が凍死してしまうのだそうです

その道具に最高の装飾を施しているところに
馬がどれほど重要なものか推し量ることができます・・

2011年12月7日水曜日

Sinier de Ridder工房の本

フランスの楽器修復工房
から2冊目の本が
出されました
(2011年9月刊行)

今回はフランスの
ミルクール出身の製作家が
作った19世紀ギターが
特集されています

フランスLamy工房の様子
楽器の鮮明な写真と共に
当時の楽器店や

工房の写真も
掲載されています
(同書籍から部分転載)
このような資料は
我々楽器を作る者にとって
バイブルです
ありがたいことです・・

2011年12月5日月曜日

駒王丸と高麗王若光 その4

富士宮下文書では、日本列島に渡ってきた国狭槌尊
クニサツチノミコトをカラスが道案内をしたことや、富士山に辿りつくまで猿や鹿が協力をしたことも記されています。このことに関して、山梨県の富士山駅周辺には
八咫(やた)という字が付けられた山や地名があったのは富士宮下文書と何らかの関係があるのかもしれません。現在は見られませんが、矢田や谷田は現在でもあるようです。
国狭槌尊をカラスが道案内をした話は、古事記の神武東征譚に登場する八咫烏と同様ですし、猿が同様の働きをすることは、天孫降臨譚で猿田彦が邇邇芸尊ニニギノミコトを道案内する話と酷似しています。
その2のコメントで述べたように、鹿島曻説では、倭人興亡史や桓檀古記から判断すると、神武は扶余王仇台のことになるとしています(百済王仇首でもある)。
また、仇台(神武)は帯方(ソウル)の地に伯済(後の百済)を建て、海を渡って九州北部福岡県の糸島に伊都国建て、さらに熊本では多婆羅国を建てています。
初代扶余は高句麗を建国した人物ですから、古事記や日本書紀の記述は朝鮮半島の出来事だった可能性も考えられます。ということは富士宮下文書も朝鮮半島での出来事であった可能性がでてくることになります・・
日本書紀は中国や朝鮮半島の歴史の借史であるという説もあるくらいですが、そのことをカラスや猿の道案内の説話が裏付けているのでしょうか・・
因みに、古事記に記されている因幡の白兎譚でのワニ騙しの話のルーツはマレー半島にあるとされています。