2012年11月23日金曜日

西脇市黒田庄

昨日22日はマリア味記子さんのギター伴奏のため
篠山の西隣りに位置する西脇市黒田庄に足を運びました

趣味で作詞・作曲をなさる遠藤さんとは
これまで何回か顔を合わせましたが
今回初演の「どんぐりどん音頭」は傑作でありました
上の写真はその曲を披露しているところ
遠藤さん作詞・マリア味記子さん作曲の「サヨナラ サヨナラ」は
練習風景をYouTubeに抜粋でUPしております

西脇市黒田庄は篠山川が加古川に合流して
間もない所にあります(地図参照
加古川沿いの西脇市については
以前のブログ「古代の製鉄」で何度か紹介しましたが
弥生時代前後の遺跡には鉄や青銅などの
金属に関するものが多く見られ
現在でもそれに因んだ神社や地名が見られます
インド由来の手焙り形土器出土していることも見逃せません
上の写真は金属加工と関係が深い兵主神社

一般的に説明はされていませんが
兵主神社は蚩尤と関係が深いとする研究者もいます
リンクしたウィキペディアの説明で
蚩尤は人の身体に牛の頭と蹄を持っているとありますが

黒田庄の兵主神社の境内に牛の像が置かれているのは
暗示的ではありませんか・・・
牛の頭といえば古事記・日本書紀に登場するスサノオは
別名・牛頭天王ともいいます
これも暗示的ですね・・・(参照
それから滋賀県野洲町にある兵主大社・・
野洲町といえば銅鐸が大量に出土しているところでもあります
はたまたこれも暗示的で・・(参照:11段目)



マリア味記子さんが講演を行った会場からの眺め

午後3時頃、紅葉に染まった山から半月が出ていました

2012年11月21日水曜日

佐伯砥と奥ノ門産仕上砥で自作小刀を研ぐ

今ではほとんど入手困難な
京都丹波産・佐伯saeki砥を
手に入れました
研ぎ動画参照ください

古事類苑では(参照
丹波に産する佐伯砥は
荒めの砥石である
同じく丹波の猪倉からも
佐伯砥と称される砥石が掘られている
と説明されていますので
産地がいくつかあったものと思われます

佐伯砥独特の
黒いゴマ状の斑点が顕著に確認できます

やや硬めですがよく反応し
たいへん研ぎやすい中砥です
粒度は800番といった感じですが
研ぎ傷が浅いので
後の研ぎが楽に行えます

佐伯砥の産地と同じ地域である
丹波亀岡産の青砥に比べると
傷はやや粗いですが
青砥よりは均一な傷です
研いでいる小刀は
自作のもので(参照
鋼haganeは安来鋼yasuki-hagane
白紙2号

動画で次に使っているのは
産地不明の中砥で
粒度はおよそ1200番

やや硬めで反応がやや鈍い感じです

その分、研ぎ上がりは緻密です

そして、仕上げ研ぎの中継ぎとして
奥ノ門産の仕上砥を使いました

ほどよい硬さで、よく反応し
強い研磨力があります


地・刃ともに微塵に美しく曇ります

最後に使っているのは
京都梅ヶ畑・中世中山産の仕上砥
鮮血のような赤い模様が入っています

硬めの石質ですが
カチカチの鏡面仕上砥ではなく
ほど良い研ぎ感で
鋼は鏡面に仕上がります


2012年11月20日火曜日

新作オブジェ



製作中のトーレス・タイプのブリッジに使った
インレイの切れ端と黒檀を使ったオブジェを作ってみました



2012年11月17日土曜日

ブリッジの加工と接着

製作中のギター3台の
ブリッジを今日接着しました
以下はこれまでの過程

Laprevotteラプレヴォット・タイプのブリッジ
上の画像の小刀はどれもハイス鋼(HSS)で
刃角度は30度~32度ほど


これは加工途中の
Torresトーレス・タイプのブリッジ
弦を結ぶスペースのデザインを 
どのようにしようか、いろいろ思案しましたが


結局このように仕上げてみました







そして膠ニカワで接着

これで

ヘッド

サウンドホール縁飾り

ブリッジの貝のインレイが揃いました
インレイの下描きはこちらを参照ください


ついでに修復中の古い楽器の
縁飾りのインレイを3個切り出しました


これはラプレヴォット・タイプの
ブリッジ接着の様子
圧着はできるだけ弱い力で済むように
接着面の加工は慎重に行います


2012年11月15日木曜日

幻の砥石・浄教寺砥を使った研ぎ動画の画像


12日に紹介した幻の砥石・浄教寺砥
使った研ぎの画像をUPしておきます
これは動画で最初に使っている
福島県産の会津荒砥
粒度は約400番
やや硬めで、ほど良い研ぎ感
たいへん使い易い砥石です

研いでいる鉋身は11日の鉋仕立ての
レクチャーで裏出しをし
この鉋刃はギター製作用として
研ぎ上げていきました

次に荒目の伊予砥
粒度は約600番
これはやや柔らかめですが
その分よく下り、研ぎやすい中砥です

そして、幻の浄教寺(じょうけんじ)
常見寺とも表記されます
江戸時代の砥石に関する文献では
ほとんど常慶寺と書かれています
たとえば、江戸時代の初めに書かれた
雍州府志では
「越前えちぜん(福井県)
常慶寺砥というものがあり、
これは俗に「じょうけんじど」と
呼ばれている」
と説明されています(参照


こちらは同じく浄教寺赤砥
これも福井県に産しますが
現在では掘られておらず
大正時代頃まで掘られていたようです
粒度は赤砥の方がやや粗い感じで
傷も深いような気がします
研ぎ感も赤砥の方が力があります

後に新たに手に入れた浄教寺砥

そして三河名倉砥、層はアツと思われます
強い研磨力があり
浄教寺砥の傷が僅かの時間で消えました
日本刀の研ぎでは
浄教寺砥の後は改正名倉をかけますが
一般的な刃物でしたら
その必要はありません

仕上げ研ぎは
中継ぎとして奥殿産巣板

そして最後の鏡面仕上げは
仕上砥石の名門
京都梅ヶ畑産の中世中山砥です
これはそこそこ硬い石質ですが
反応が良いので
心地よく研ぐことができます
これはさゞれ銘砥さんから
お世話になりました