2013年6月30日日曜日

古い会津刃物と会津鉋総括


21日に紹介した古い会津鉋
寸四(身幅61mm)の「重」の
下の字について
「くずし字辞典」をつぶさに
調べてみました


その結果「舞」の字

そして「置」
これらが似ています

そして最初に疑った「丸」

やはり「丸」でしょうかね
しかしながら
「会津の刃物鍛冶」の
会津鍛冶銘には
「重舞」や「重由」
「重置」「重丸」は
見当たりません・・
謎です

参考までに
これらは「道具曼荼羅」で
紹介されている会津鉋
左端の上下2点は「重道」
中央上は「重親」か?
上段右の刻印銘は
判然としません
下段中央は「重利」
その右は「重輝」

そして私の手許にある重房(玉鋼)

重道(玉鋼)

重明(東郷鋼)

重延しげのぶ(特殊鋼)
これは仕事で使えるレベルでは
ありませんでした

重利(玉鋼)の二寸鉋

重力(玉鋼)

重則・寸八
玉鋼、初代か・・

重勝(玉鋼)

重春 銑(玉鋼)

重春(玉鋼)
切れ味よく、永切れする 

重輝(玉鋼)
切れ鋭く、永切れする

重輝 櫛刃鉋(玉鋼)

渡辺 重輝 寸六
(身幅約6.5cm)
内丸鉋として使われていた
ものと思われます
特殊鋼系でグラインダーに
当てると
火花は比較的多めに飛びます

平鉋として砥ぎ上げた状態
渡辺重輝銘は
堤章氏による著書
「会津の刃物鍛冶」には
記載されていません


重高(玉鋼)


その後、豆平鉋に改造
焼き入れがやや甘く
仕事では使いにくい

重高(玉鋼の小鉋)
よく切れ、永切れする

重高(寸六・玉鋼)
切れ味よく、永切れする

重保(東郷鋼)
刃先強靭で永切れする

重上(寸六・玉鋼)
これは刃先が甘すぎて
仕事では使えない
贋作かもしれない

重次(玉鋼)
切れ味よく、永切れする

重清(内丸鉋と際鉋)
よく切れ、永切れする

重光(作里鉋か?)
刃先はやや甘い感がある



他には、堤章氏による著書「会津の刃物鍛冶」
で紹介されているものが
あります

「会津の刃物鍛冶」で
紹介されている銘を
挙げてみると・・

重房 重広 重綱 重行 
重春 重正重吉 重則 
重利 重輝 重里 重岩
重明 重上 重友 重金 
重親 重義重忠 重光 
重直 重道 重高 重平
重長 重若 重保 重延 
重輝 重富重成 重清 
重武 重次 重松 重氏
重時 重兼 重定 重興 
重直 重遠重門 重森 
重豊 重賢 重勝 重之
重元 重只 重隆 重盛 
重栄 重宗

他に二代目・重正の「菊寿」があります

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2013年6月29日土曜日

犬釣り・・?


都会から遊びに来た知人が犬釣りを見たいというので・・
YouTube動画UPしました




川で泳いだ飼い犬のテンは大喜びで
ハイ・テンションになり、やりたい放題・・
飼い主のペットボトルをまきあげキャップを噛み砕いたり
右に左に走り回ったり・・
飼い犬テンはヨチヨチ歩きのときから水に興味を示し
散歩に行くようになったら早速川にドブン・・水が大好きなのです
この犬の親は代々猟犬をしていたので
その血統の影響でしょうか・・

2013年6月28日金曜日

篠山市真南条上3号墳の出土品


25日に紹介した兵庫県三田さんだ市藍本にある
高川古墳群から北東に8kmほど離れたところにある
篠山市真南条上3号墳の発掘報告書を手に入れました
これは真南条上3号墳から出土した装飾品
紅色の勾玉はメノウ製
白い管玉は3年前に紹介した塩田石でしょうか・・
興味は尽きません・・

参考までにこちらは25日に紹介した
三田市藍本の高川古墳から出土した装飾品の一部
時代はどちらもほぼ同じで6世紀後期とされています
水晶製の棗玉はやや形が違っていて
ガラスの色も違っているのが興味深いところです


土器や鉄器の鏃やじりも同じようなものが出土していますが
真南条上3号墳からは馬具は出土していません



真南条上3号墳から出土している砥石の図
これは写真は紹介されていませんでしたが
「白色のきめの細かい石材」と説明されていますので
これも塩田石の可能性があります



さて、こちらは真南条からさらに北東に8kmほど離れた所にある
丹波最大の前方後円墳である
雲部車塚古墳から出土した鉄製品(地図参照ください)
この古墳は石棺の中はまだ調査されておらず
出土しているのは石棺の回りに埋葬されていた武具ですが
一部は他の古墳のものが紛れ込んでいるという指摘もあります
時代は5世紀の初めから中葉とされています




2013年6月27日木曜日

手に入れた二冊の古書


明治36年(1903年)発行の「波紋集」
たいへん参考になります
もっと早く手に入れたかった・・










こちらは大正15年(昭和元年・1926年)発行の
日本刀に関する本
これは日本刀研磨と鑑定を専門とする
本阿弥光賀氏(水戸本阿弥家)が
日露戦争(明治37年~38年)時に東京日々新聞の記者として
従軍した折に、日本刀について講演したことを
陸軍砲兵曹長の渡邊仁氏が筆録
刀剣会幹事の村上勝也氏が補訂したもの





その中で、砥石に関する記述で
興味深いところがありました
この頁で述べられている「折杭」という荒砥
そして「白馬」、「縞柳」といった砥石名は今では聞かれません
果たしてどのようなものだったのでしょうか・・