2022年1月7日金曜日

職人歌合絵巻で遊ぶ


作業の合間にちょっと遊ぶ
自作した職人歌合絵巻を
巻物にしていく
自作といっても
データベースから
ダウンロードさせてもらった
画像を和紙風A4用紙に印刷
それを糊付けしたもの
それを巻物にするための
芯棒を作っているのがこの画像

これはヒノキ材
ここのところ
堅い紫檀材ばかり加工
しているのでヒノキが
豆腐のように柔らかく感じる

ナタで荒加工


鉋で丸めていく


長さを決める


巻き絵を接着して
出来上がり

江戸時代の蒔絵箱に納める
鶴岡放生会職人歌合絵巻

こちらは
三十二番職人歌合絵巻
市販されている
縮小版モノクロ巻物なので
自分で適当に色付け

色付け完了





2022年1月5日水曜日

江戸時代の彫物師・石川雲蝶と北斎、応為


以前こちらで紹介した
ご覧下さった方から
江戸時代の新潟県の彫刻家
石川雲蝶のことを教えて頂きました

画像はリンクしたHPから拝借
天井彫刻は濃密な迫力に
圧倒されます


欄間彫刻の龍

襖絵や寺社の設計まで手掛ける
多才ぶりを発揮したようです

驚いたのは
この欄間彫刻の音声菩薩です

指に目が釘付けになりました

北斎の娘、應為が描いた
女性の指にそっくりなのです




こちらは晩年の北斎が
娘の應為と長野県の小布施で
合作したとされる天井画

雲蝶は1814年、文化11年に
江戸に生まれていて
32歳頃新潟に移っている
20歳前後には
彫刻家として名を成していて
その当時北斎は74歳、
応為は34歳
三人の交流の可能性は
充分あるのではないでしょうか

また北斎親子が
長野県小布施に
行き来していた頃
雲蝶も江戸から新潟の魚沼に
移住していたので
接点はありそうな
気もするのですが
興味が涌くところです
小布施と魚沼は
80kmほどの隔たりがあります

小布施で描いた
祭屋台の天井絵
彫り物は北斎の意匠と
監督のもとに制作されたと
北斎館から出されている
肉筆画大図鑑で
説明されています

「皇孫勝」は
現在の長野県上高井郡の彫師
三代目亀原和田四郎嘉博が制作
「応龍」は
江戸の人形師、松五郎が
彫ったものとされています
ということは
この屋台に関しては
石川雲蝶とは縁がなかった
ということになりますか・・

2022年1月3日月曜日

琵琶の構造を考察

製作中の楽琵琶の腹板

こちらは槽(背面板)の
腹板(響板)との接着面からの
彫り方について
鎌倉時代に著された
「八音抄」では
「膠付きの面(接着面)は四分(約1.2cm)に弱きほど内の深さは五分(約1.5cm)にいきたる程少したをみ(撓み)たるやうにゑる(彫る)べし。すぐにゑりたるは悪ろし。」とされています。
これは、接着面から直角に彫り込むのではなく弧を描くように斜めに彫り込み、そこから槽の板厚を決めていく、というふうに理解できますが、以前修復したことのある500年ほど前の琵琶も、槽の彫り込みはそのように為されていました。
このことを少し考察してみると、琵琶の周囲は鐘の構造に似ていると言えます。そういった構造では、鳴らされた鐘の振動は先端部の厚みで押さえられ、そこが振動の節となって振動が永続しやすく、音に余韻を与える効果があるように感じます。音質も締まった感じになるのではないでしょうか。そういった構造は撥弦楽器には向かないような気もするのですが、それをやってしまっている、というのには、やはり何か根拠があるのでしょうね。たいへん参考になります。

今回、製作中の琵琶の槽


琵琶の基本的な構造

釣鐘の構造

古い鐘の内部は
荒く仕上げられていますが
これは技術が稚拙なのではなく
意図的に為されているのだと
私は思う

対照的に
江戸時代の鐘の内部は
滑らかに仕上げられている

鼓の構造も琵琶同様
革が当たる部分からの
彫り方は弧を描くように
加工されている

こちらは
複製の小型銅鐸
音出し動画ご覧下さい
長さ13cm、最大幅8cm

銅鐸の先端部は平坦だが
音を鳴らす振り子が
当たる部分に肋が
作られていてそれが
振動の節になっている


2022年1月2日日曜日

梁塵秘抄と白拍子


ここ1ヶ月ほど
後白川院が著した
梁塵秘抄歌詞集に
目を通しているのですが
これは平安時代末に流行した
今様に魅せられ、打ち込んだ
後白川法皇の足跡
とも言える記録です
後白川院は十数歳の頃から今様を歌い始め、40数年間「今様」を好んで続けたことで知られています。これほど長年に亘って今様を続けた人は今様の名人にもいなかったとされていて、後白川院はその徳についても述べています。
その一節「心を致して神社・仏寺に参りて歌ふに、示現(じげん:神による奇跡)を被り、望むこと叶はずといふことなし。官(つかさ)を望み、命を延べ、病をたちどころに止めずといふことなし。云々」

後白河院の今様の師は乙前という60歳代の白拍子とされていて、
姿はこのような感じだったのでしょうか(東北院職人歌合から)・・
後白河院は十数年乙前に師事したとされ
乙前は84歳で亡くなったことが院によって記されています。

職人絵に描かれている
白拍子

同じく白拍子

こちらは七十一番職人歌合から
白拍子とくせまい舞(曲舞舞)

江戸時代初めの画家
海北有雪によって描かれた
曲舞舞の踊り子

同じく「くせまひ舞」図

今様については
枕草子や源氏物語にも
書かれているようです
この絵は枕草子絵巻から
無明という銘の琵琶について
描かれている場面


当時の合奏図