2023年2月7日火曜日

匠家必用記 中巻 七、八、九、十章 読み下し

 匠家必用記 中巻 七、八、九、十章
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ご教示願います


七 天照太神笠縫の里に御鎮座の事
瓊瓊杵尊日向の高千穂の峯に天降りましますとき天照太神三種の神宝を授け給ひて、此国の主としたまふ。よって皇孫尊へ勅(みことのり)して曰(のたまはく)、此宝鏡をを見まさんこと我を見るがごとくすべし。床を同(おなじふ)し殿(みあらか)を供にして斎(いはひ)の鏡となすべしとの神勅によりて、御同殿に斎ひ祭り給ふ。人皇神代神武天皇も厚く神を尊敬し給ひ、神代の教のごとく三種の神宝を御同殿に斎ひましける。然に人皇十代崇神天皇にいたりて、甚神威をおそれ給ひ、供に住て安からずとおぼし召て、更に石凝姥(いしこりどめ)神の裔(はつこ)、又

天目一箇命の裔二氏に命(みことのり)して、剱鏡を造らしめ御身の護とし給ひて、御殿に祭り給ふ。又手置帆負命、彦狭知命の裔に命して、大和国笠縫の里に宮殿を造らしめ、神代より伝ふる剣鏡を遷し鎮め奉り給ふ。天照太神宮是なり。則、皇女豊鋤入姫を斎宮(さいくう)とし給ふ。然ども此御宮地神の御こころに叶ざりしにや。是より国々所々に太宮地を竟(もとめ)給ひ、大和国三輪の御諸の宮にて御姪の大倭姫命(やまとひめのみこと)に斎宮をゆづり給へり。是より又、所々に遷幸まします。凡此御宇より垂仁天皇の御宇を国々所々に宮を建立し給ふこと其数かぞへがたし。皆手置帆負命、彦狭知命の裔に命じて造らしめ給ふとかや。此笠縫の里に御鎮座ありし年より今宝暦四年迄千八百四十五年になる也。

八 天照太神五十鈴の川上に御鎮座の事
大倭姫命、国々所々に宮地を求め給へども、とかく太神(おおんかみ)の御心に叶ざりしにや。其後伊勢国に至り給ふ。ときに天照太神、大倭姫命に晦(おしへ)て曰(のたまわく)、是神風、伊勢国常世の浪重(なみしき)浪帰(なみよす)可怜(うまし)国也。此国に居(お)らんと欲(おぼす)と。故(かるがゆへ)に太神の教に随て御宮地を定め給ふ。此故に大倭姫命諸氏に命じ給ふは五十鈴の川上の艸木(くさき)を伐はらひ、大石小石を平にし、地の高卑をならして宮地と定むべし。又手置帆負命、彦狭知命の裔に命じて、先(まづ)斎柱(いんばしら)を立て、後御宮を造らしめ、天照太神を遷し鎮め奉る。今の内宮是なり。此とき所々に枌社、末社を建立し給ふ。其数多し。是又手置帆負命、彦狭知命の裔に命して造らしむ。此御鎮座の年より宝暦四年迄千七百五十六年なり。

九 豊受太神山田原に御鎮座の事
天照太神伊勢国宇治の五十鈴の川上に鎮座し給ひて後四百八十一年を歴(へ)て、雄畧(略)天皇の御宇(ぎょう)二十一年冬十月、天照太神大倭姫(やまとひめ)命に誨覚(おしえさと)し給ふは、丹波国魚井(まない)の原に座(まします)す、豊受太神を我座国(わがますくに)に遷し奉れと有し故。此旨天皇へ奏聞ありければ、則大若子の命に勅(みことのり)ありて、丹波国へ往(ゆき)て遷幸の義を申上らる。又手置帆負命、彦狭知命二神の裔に命じ、山の材を伐とり宮を造らせ給ひ、明年七月七日大佐々命に勅有て丹波国より豊受太神を迎え奉り、伊勢山田の平尾に行宮(かりみや)を建て、爰に三ケ月宿し奉る。其後九月十六日に今の御宮地に遷し奉る。外宮豊受太神宮是なり。此外摂社、末社も建立あり。是皆手置帆負命、彦狭知命の裔の制作也。又此後は格式定まりて、両宮共に二十年に一度づつ御宮を造りかへ給ふ。此御鎮座の年より宝暦四年に至り千二百七十七年也「内外宮の事は委諸書に有之故ここに畧す」。

十 番匠の神御神徳の大意
番匠の祖神手置帆負命、彦狭知命の御事右に書するは神書の大概也。其神功の委こと諸書に便てあきらむべし。上にもいふごとく、日本開闢の始は人の家といふこともなく、岩穴を造りて居住せり。其とき二神、人の難儀を憐給ひ、心を合て番匠の基本を起し給ふ。まことに二神の神徳普く天下に繁栄し、今諸人家に居することは此二神の御恵也。番匠は此職を受継て、宮殿、屋宅、諸々の器材を造ること、皆二神の神教なれば、此職をつとめて今日妻子を養事、偏(ひとへ)に是二神の大恩ならずや。番匠たる人は別て敬奉るべし。此外桶工、桧器匠(ひものや)、鋸匠(こびき)、竹細工人等も此二神を敬ふべし。
匠家必用記中之巻終

2023年2月4日土曜日

縁飾り接着 そして指乗せドラゴン


製作中の19世紀ギター
特注ラコート・タイプ
弦長630mm
パフリングを接着したところ

こちらは
バインディングの接着

余分を鉋かけ


これは龍のフィギュア
指乗せドラゴン

さざれ石に乗せる






舞錐に乗せてみた


2023年2月3日金曜日

匠家必用記中巻 五章と六章読み下し

匠家必用記 中巻から
五章と六章の
読み下しを紹介
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五 皇孫尊高千穂の峯へ天下り給ふ事
大己貴命、国を皇孫尊へ授給ふこと上聞に達し、天照太神の御悦喜(よろこび)かぎりなし。ときに天照太神、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)語て曰、芦原の瑞穂国は吾孫の主たるべき国也。皇孫尊就(ゆき)て治(しらす)べし。宝祚(あまつひつぎ)の隆事(さかへんこと)はまさに天壊(あめつち)と窮なかるべしと、の給ひて、三種(みくさ)の神宝(かんだから)を授け給ふ。よって諸神付したがひ天の八重雲を威稜(いづ)の道別に道別(ちわけ)て、筑紫日向(ひうが)の高千穂の峯に天降り給ふ。それより方々と宮地を求給へども、とかく御心に合ざりしにや。ときにその国

神、事勝国勝長狭を召て問給ふは、宮を造るによき所りや。長狭の曰、よき宮地有。御心のままに御幸覧あるべしとて、導し吾田の長屋笠狭の崎にいたりたまふ「今此所を宮崎といふ、高千穂の峯を去ること二十里と或抄に見へたり」。則、長狭の教によって其地に宮殿を造営して住み給ふ。是より天業(あまのひつぎ)専さかんにして、天児屋根命、天太玉命を補佐の臣とし、誣(経)津命(ふつぬしのみこと)、武甕槌命は征伐の権を掌り(つかさどり)、其外の諸神ともに官職をつとめ、皇孫尊(すべみまのみこと)を守り侍らしむ。是より地神四代、彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)、同五代、鸕鶿草葺不合(うがやふきあえず)尊も此御宮にましましき。

六 神武天皇大和国橿原に内裏を建立し給ふ事
人皇(にんおう)の始、神武天皇は鸕鶿草葺不合尊第四の御子也。日向(ひうが)国にましまして、天下を御(しろしめ)し給ふ。然るに近国はよく治れども、遠国におゐて動(ややもすれ)ば皇命にそむく者有。此故に東国征伐をおぼし召、立給ひて、皇舟(みふね)に召れ、日向国を出帆して筑紫の宇佐に至り給ふ「今豊後国宇佐也」。その地に宇佐津彦命、宇佐津姫命という人ありて一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)を造りて、天皇を待受、大に饗(みあえ)奉る「あしひとつあがりの宮はきさはし、高らんある宮也。是其始ならん。貝原氏曰、其ときの宮柱の穴とて呉橋(くれはし)川の川上の水際にありと」。是より吉備国高嶋に至り給ひ「今備前国高嶋なり」、行宮(かりみや)を建て、爰(ここ)に三年ましましぬ。是より又御舟に召て、難波に至り給ひ河内国をこへ、大和国にいたり給ふ。此時に不順(まつろわぬ)賊徒を悉く誅し給ひて、橿原といふ地に内裏を経営し給ふ「橿原の地は今葛上郡柏原村に旧跡ありと藻塩草に見へたり」。よって忌部の長天富命は手置帆負命(たおきほおいの命)の孫、彦狭知命の孫を率て下津磐根

に大宮柱ふとしく立、高天原に千木高しりて宮殿を造らしむ。又宮中に蔵を建て給ふ。これを斎蔵(いんぐら)と名く(なづく)。忌部氏をして永く其職に任し(よざし)給ふ「是蔵の始ならんか。前に云ごとく手置帆負命、彦挟知命は神代に始番匠の道を起し給ふに、大切あるゆへに神代に宮建立ありしときは、此二神に命じて造らしめ給ふ。此例によって神武天皇も二神の孫に命じて内裏を造らしめ、永く其職に任ざし給ふ。此故に代々の天皇も二神の裔(はつこ)を内裏の匠頭と定給ふ也。よっておもふに、民家にも是に倣て格式の普請には古法を失わず家造りに臨では、其主の先祖のとき造りし番匠の子孫を以て家宅を造ること是上古の遺風也。是のみならず、余のことも古例に合(かなふ)事まま多し」。又斎部の諸氏を率て種々(くさぐさ)の神宝、木綿、麻織布、盾矛をつくりて、天皇へ奉らしむ「忌部諸氏は天日鷲命孫、手置帆負命、彦狭知命孫、天目一箇命孫、櫛明玉命孫也。此とき天富命を首とし

て皆忌部氏の御一門なり」。手置帆負命の孫、矛竿を制(つくり)て献上し給ふなり「此矛竿を献じ給ふこと吉例と成て毎年矛竿を献じ給ひて大同年中迄も此例虚しからず。此とき手置帆負命孫わかれて讃岐国に居住あるゆへに讃岐の忌部と云。なを子孫はびこりて忌部氏多かるべし。矛竿は矛の柄なり。今の鑓の柄のたぐひなり」。又天日鷲命の孫は阿波の国へ下り、麻殻を植て天皇へ献上し給ひ、大嘗会(だいじょうえ)のときに当りては、其国より所々の産物をささげ奉りたまふ「天日鷲命の孫、阿波の国に居住して麻殻を殖給ふゆへに其郡を麻殖と名く。今其地に忌部氏の人多し。これを阿波の忌部といふ。みな天日鷲命の子孫なり。此ゆへに忌部の人々山さき村に社を建立してうやまひ奉る也。延喜式にも麻殖郡座忌部神社天日鷲命とあれば、由来久しき御社也」。又天富命、彼阿波の忌部をわかち、総(ふさ)の国へ遣(つかわ)され、麻殻を植させ世の重宝

となさしむ「総の国は後にわかれて両国となる。今の上総、下総、此也。此忌部居住有し地を安房(あわ)の郡と号(なづ)く。今の安房の国也。此国に忌部氏の人有と神書に見へたり」。天富命、その地に太玉命の神社(やしろ)を建立し給ふ。是を安房社と号く「今此神社を州崎の神社といふ。此御社こんりうの年より、今宝暦四年四年迄二千四百十四年にになる由来久しきことなり。太玉命は忌部の祖神なるによって御孫天富命社を建立して尊崇し給ふ也」。此外諸神の孫所々の物を造りて天皇へ捧給ふ也。凡(およそ)此ときより王業盛に行れ、三種の神宝を正殿に安置し給ひて、神国の貴きことを民にしろしめ給ひ中臣、忌部の二氏は神祇(しんき)を祖祀(まつる)の儀(よそほい)を掌(つかさど)りて天津罪国、国津罪を解除(はら)ひ、大伴氏、物部氏は朝敵退治の権を掌(たなごころ)にし、其外神代より伝ふる神々の子孫をして、それぞれの職に任(よざ)し給ふ。誠に神武天皇の神威四海にみちて、一人も敵する者なく永く太平の国となし給ひ皇統万々歳、天地と窮(きまわり)なき人皇の基本を起し給ふ。神功誰しもこれを仰貴ず(あおぎたっとみ)ずといふことなし。此橿原に内裏を建立し給ふ年より今宝暦四年迄二千四百年十四年になりぬ。


2023年1月31日火曜日

平安時代の高杯 そして可動式旋盤台


これから作る平安時代の高杯

このように使われる

残されている絵

天地を反転させて
灯明台としても
使われていたようです

それを作るための
木工旋盤を乗せるための
可動式台を作った




2023年1月28日土曜日

匠家必用記中巻  三章と四章の 読み下しを紹介


匠家必用記中巻より
三章と四章の
読み下しを紹介
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三 素戔嗚尊清地に宮を建給ふ事
素戔嗚尊は上に云ごとく、諸神の逐(やらひ)によりて遂に出雲国簸(ひ)の川上に天降り給ふ。其地に八俣の大蛇(おろち)ありて稲田姫を害せんとす。素戔嗚尊是をきき給ひ、忽(たちまち)いつくしみの御心を起し給ひて、其苦を救ひ給はんと欲し、大蛇を退治せんことをはかり給ふ。先あしなづち、てふづちをして毒酒を造らしめ、大蛇にあたへたまへば、大に酔てねふる。其とき、そさのおのみこと帯し給ふ十握(とつか)の剣(つるぎ)を抜て大蛇をずだずだに斬給ふ「此剱を天羽々斬の剱と云。又は虵(おろち)の麁正(あらまさ)共号(なづ)く。今備前国赤坂郡石上魂神社に祭る。又は大和国石上の神社い祭るともいへり」。其尾に至て剱の刃すこし缺ぬる故、割て見給ふに霊異なる剱あり。天のむら雲の御剱と号く

「是三種の神宝の一つなり。景行天皇の御宇東にぞ賊徒起りしとき、皇子日本武尊此御剱をもって発向し給ふに、賊徒畏恐(おぢおそれ)てことごとくなびきしたがへり。国平安となりしこと此剱の御徳也。神を木にたとへて一柱、二柱といふ。万民を草にたとへて、あおひとくさといへり。かるがゆへに、此つるぎをくさなぎの剱といふ。草なびきの中畧なるべし。今尾張の国熱田の神宮におさむ」。素戔嗚尊、今奇異の剱を得て私に持えきことにあらず、太神へささげ奉り、天下の重宝となさんとおぼしめして、天照太神へ上献し給ふ。此とき稲田姫をめとりたmひて、宮地求給はんと欲し、出雲国清といふ所にいたり給ふときに、素戔嗚尊、御心もやはらぎ清浄の心にたちかへりたりとおぼし召して、吾心清清之(すがすがし)と自(みずから)の給ふ也。則この清という所、清浄なる地によって宮殿を造営して住給ひ、ほどなく御子大己貴命(おほあなむちのみこと)を生(あれま)し給ふ。この御宮も手置帆負命、彦挟知命の造りたまふものなり。

四 大己貴命日隅宮を建立し給ふ事
天照太神御孫、天津彦火瓊々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)を芦原の中津国の主とし給はんとおぼし召て、経津主尊(ふつぬしのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)二神に詔して豊芦原の中津国を平げしむ。二神、出雲国へ降り給ひて大己貴命に対面し、太神の詔の旨を仰られしは、国を皇孫尊(すべみまのみこと)へ譲べし。汝は天日隅宮を造りて住むべし「日隅宮は今の杵築大社(きづきやしろ)也。今より後は神事をしらすべき也。宮造りの制は、柱はふとく高く、板は広く厚きを用ゆべし「杵築の大社は余の社よりも大なるは此謂也」。其外、高橋、浮橋、天の鳥船を造りて海に遊ぶの具とすべき也。番匠神は手置帆負命、彦挟知命を定べし「日本記に紀伊斎部(いんべ)遠祖、手置帆負命を定て笠縫とし、彦挟知命を盾作(たてぬい)とすといへり。元正天皇養老年中に一品舎人親王、日本記をゑらみ給ひしとき、此二神の裔(はつこ)、紀伊国、名草郡、御木郷、麁香(あらか)郷(ごう)に居住し故、其先祖の神をさして紀伊忌部遠祖と書給ふ也」。天目一箇命、金工と定給ふ「上にもいふごとく、是鍛冶の祖神也。此とき宮入用の金物を造り給ふなるべし」。大己貴命、此

詔(みことのり)をうけ給りて、其御子事代主命ともに太神の勅命にしたがひ、事ゆへなく国を皇孫尊に授給ふ。則大己貴命の持給ふ所の広矛を二神に授給ひて曰(のたまはく)、吾(あれ)此矛をもって国を治るに功あり。今、皇孫尊、此矛をもって国を治め給はば、かならず平安なるべしと、の給ひて隠去給ふ。二神此矛を請取給ひて、天照太神へ此由を作上られける「此段大己貴命出雲の大社を建立し給ふこと、かくのごとし」。