宝暦四年(1774年)に書かれた
匠家必用記 下巻から
一章と二章の読み下しを紹介
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匠家必用記下之巻
立石定準記
一 地鎮(ちしずめ)の事
宮社を造らんと願ば先其地をたいらにして、不浄をはらひ水縄を引、地取を極め其まん中にはしらを立る。是を斎柱(いんはしら)と云。俗家にては是を大極はしらといふ号く「俗せつにキモンハシラと名て東北のはしらはあやまり也。キモンのことは日本のことにあらず、本朝りげんといふ書にでたり。かんがえ知るべし」。則此はしらを家の大こくはしらに用ゆるべし。づ(図)のごとくくいを四本うち、しりくめ縄を引廻し、榊(さかき)を以て飾べし。又弓二張「白木綿の弓つるを用ゆべし」。矢二筋用ゆ「一筋はかぶらや、一筋はかりまた」。天神地祇を祭り、又番匠の神の神号を板に書て柱にかけ、前に鏡餅、角樽、鯣(するめ)、昆布等の祝儀物を献上すべし。此時尼僧及すべての不浄を遠(とおざ)く可(べく)也。番匠のたる人、礼服を着して神を拝すべし。是則、神代に伊弉諾尊、伊弉冉尊国中に柱を立給ふよりこと起り、神代に専(もっぱら)此こと神事ありて、
今上古の遺風たえざるはあり難こと也。伊勢太神宮にも宮建立の前、此祭り有。是を心の御はしら祭りといへり。「心御柱記」曰、心御はしらは一気(いつき)の起、天地の形陰陽の源、万物の体也云々。此はしらを御はしらとも天御柱とも忌はしらともいへり。前にもいふごとく此みはしらのことあ神道の根元至てふかき意有故に宮社並に屋宅を造るに、先(まず)忌はしら大極柱を立、不浄をはらひ地を鎮る(しずむる)は其縁(ことのもと)なり。是をしらずして何心なくはしらを立るは、番匠の本意にあらず。よく考へ知るべきこと也。或人曰、家の真中のはしらを大黒柱といふは大極の字を誤り、夫(それ)家は一天地のごとく、此故に其真中の柱を大極と名(なづけ)たり。心御はしらに比すと。云々
二 釿始(ておのはじめ)之神事
釿始は宮造り、家造りの始、万歳をたもつの基なれば、別て(べっして)めでたき神事也。番匠たる人、礼服を着し職神を祭り、神酒、鏡餅、肴等の祝儀物をささげ祭りて、釿始すべし。一書(ある書)に釿始に唱ふる文有。仏説のしん言をもちゆといへり。是等のことは天竺にては左も有べし。日本にては、大気にいむ事也。天照太神の御託宣にも、仏法の息を屏(しりぞけ)、祭神祇を崇(あがむ)とあるを、今更思合すべし。そうじて、釿始の前日、当日万事不浄を遠く(とおざく)べし。宮造りはいふにをよばず、家造りとても慎(つつしみ)を第一とし、喧嘩、口論等相互にかたく禁(いましむ)べきことなり。