止(やむ)をなきにより、万物其中に生ず。其気至て著明なるものは水火の二つ也。人身のごとき此気形体に周流して天地の気に通ず。今此二気の外に木金土の三つを加て、五行の気とせり。木金土と(の)三行は水火に対すべきものにあらず。土は重たく(濁)のかすにして此体のほか別に気有にあらず。陰陽の気を土中にうけて、万物栄枯の用をなす一身の骸(かばね)のごとし。金は土の精(くわしき)ものなり。木は一身の羽毛のごとしといへり。故に五行と称する
者は仮に名付たることにて、実の理にあらず。勿論一人に一行づつ配して何生とし、相生相尅を以て吉凶を定は卜者の徒が人を惑す妄言也。相生とし相克を凶とする其理正しからざること譬ば番匠は常に道具を以て木を伐、器を製す。是金尅木也。鍛冶は火を以て鉄を淬(わかす)故火尅金也。此金尅木、火尅金と尅するを以て諸々の器財、太刀、刀等の刃物も出来て人の重宝となれば、相尅は凶にあらず。相生を吉といひがたし。今仮に
其理をいふときは、相尅は反て人の用をなす處の元也といへども必竟無益の論にして、人の惑となることなれば、かならず信用することなかれ。故に屋造り、棟上、移徒、五行相生相剋を用ずして、何の災かあらん。上古より宮殿を建立するには、南を表とし北を後とす。又は東を表に西を後とし、是陰陽向背の理也。此外別に法あらず。人家を造立するにも大略是に准(したが)ふとき、第一明受よく且又冬の寒気をしのぐに勝手
よきものなり。然ども其土地により、西向、東向にしてよろしき地もあるとき、しいて是を南向にせんと願ば、往来の難もあるべし。宮社は格別、人家は其地の宜しきに従ひ方角にかかはらず、人々の家業に便よろしきやうに造立するに則よき方角といふもの也。棟上、移徒とても家業の故わり(さわり)にならざる月日を考て、其事をなすべし。是則其人に置て吉日なりとしるべし。そうじて番匠は其頼人のこのみに従ひ造作することなれども、其人の愚にて五行相生と相尅を信ずる人には、よく此訳をいひきかすべし。去ながら理をもっていふときは、其理ありといへども、ことに置ては実にその理はなきもの也。理りて其事なしといふ語あり。察し明むべし。
十七 屋敷取吉凶の弁
近世流布の大匠雛形の添書番匠秘事に屋敷取相形の事を載たり。東不足の地は福有、西たらずの地は貧也。南たらずの地は福あり。北たらずの常にくるしみあり。東西長きは貧也、南北長きは福あり。此外東狭き地、西狭き地、筋違等の地もそれぞれに貧福吉凶ありといふ。因ておも(ふ)に今京都東西の町にて考れば、凡表口より裏口長し。然ば、其町筋の人はことごとくみな福者たるべきに、貧者もあれば福者もあり。又東たらずの地は福地
なりといへども貧者も有。北たらずの地は常にくるしみ有といへどもヨクタノシムモノもあり。其余は是に準じて屋敷取地形に吉凶あらざることを知べし。唯其人の家業に便よろしき地をえらみて家を建立して可也。富貴貧賤のことは元来命なれば、我才覚を以て求べきことにあらずといへども、人の心持によって善とも悪とも、禍とも福ともなる事也。常によく慎人は災変じて福と成、くるしみ変じて楽(たのしみ)と
なり、家長久するすることは慎の一つにあり。たとひ貧にくらすとも、よくつつしむ人は自然と相応の楽有て万事苦労なく一生災といふことをしらざる也。又不慎の人は少のふく有とも尋常のことにはあらず。あやうき者也。必後に一信(倍)の有て心を労し、楽もくるしみとなり(る)こと、みな心の用い様にあり。世間の人々のみのうへ心持の善悪を見て考え知るべし。なんぞ屋敷の地形によって人の
禍福有りんや。又俗説に東の棟、西の久しといふことあり。よんどころ無き妄説也。是等を信ずる時は自然と禍を招くごとく人の害となること甚し。よくかんがへて用べからず。彼ばんじやう(番匠)秘事といふ書はひとのまこと(まことはまとひ:惑の間違い)に成事多し。しん用(信用)することなかれ。
立石氏
匠家必用記下之巻終
以上で江戸時代宝暦五年(1755年)に
出版された「匠家必用記」
shouka-hitsuyo-ki
上巻・中巻・下巻
の読み下しすべてを紹介しました
作者は美作国
mimasaka-no-kuni
津山(岡山県)の
立石定準(Tateishi Sadanori)