モーツァルトが活躍していた頃の鍵盤楽器は弦を鳥の羽ではじいて音を出すチェンバロからハンマーで叩いて音を出すフォルテピアノ(ハンマークラヴィーアHammerklavier)に移行していた時期で、モーツァルトも21才のときにアウクスブルクを訪れた際に鍵盤楽器製作家のシュタインの工房でフォルテピアノを弾かせてもらっている。音の強弱をつけることができ、音質も豊かなフォルテピアノをモーツァルトはたいへん気に入り、それ以来フォルテピアノを使ったとされている。
製作家のシュタインは演奏も達者だったようで、モーツァルトの手紙では「三台のピアノのための協奏曲」の公開演奏会ではシュタインが第三ピアノを担当したと書かれている。
また、シュタインの工房を訪れた際のシュタインの話を説明している手紙では「彼のピアノは寿命が長いという評判で、響板が割れたり、裂けたりしないように注意しているということです。ピアノ用の響板を仕上げると、それを大気、雨、太陽熱、などあらゆる魔物にさらして、それで割れ目を作り、木片をそこに膠(ニカワ)で接着します。そうすると強くしっかりした響板になるということです。もし板に割れ目ができれば、彼はまったく御満悦です。今後それ以上のことが起きないという保証になりますからね。ときどき彼は自分で刻みを入れて、もう一度ニカワで固め、ほんとうに強固なものにします。」と書かれている。
シュタイン製フォルテピアノ
1775年作
シュタインの肖像画
モーツァルト書簡全集
から部分転載
モーツァルトが使っていた
ヴァルター製フォルテピアノ
1781年製
黒鍵盤は黒檀、白鍵は牛骨が
貼られているらしい