川端康成の随筆に
「水晶の数珠など」
というのがあります
そこでは清少納言の
枕草子の一節が取り上げられ
あてなるものとして
「水晶の数珠、藤の花、
梅の花に雪の降りたる」
というものが挙げられています
あてなるもの、は
上品で美しいもの
という意味のようですが
その紹介されているものに
似ているものを
手持ちの石の中から
勝手に選んでみました
まず藤の花
これは石の表面の模様です
藤の花といえば藤色ですが
このように白い花もあるので
強引に紹介しました
そして
「梅の花に雪の降りたる」
この鑑賞石、そのように
見えませんか・・
そして数珠
これは市販のガラスや水晶
玉gyokuの珠に紐を通す
穴が開けられたもの
それから市販の勾玉と
自作の勾玉を組み合わせて
自作した首飾りですが
これはやはり古墳時代のもので
清少納言の時代
平安時代にはなかったもの
と思われます
これは現代の数珠ですが
やはりこんな感じだったの
でしょうか
川端康成の随筆でも
このあたりのことが
考察されていて
氏は最初はこのような数珠
だったのだろうと
述べていますが
ある時、京都の骨董店で
平安時代のものとされる
大粒の水晶玉の数珠を見て
考えが変わったと
述懐しているのです
これは平安時代末
12世紀頃のものとされる
水晶玉ですが
大きさは記載されていませんが
こんな感じだったのでしょうか
これは松崎天神縁起絵巻に
描かれている僧侶ですが
手に水晶と思われる数珠を
持っています
水晶はソロバン玉のような
形に見えます
こちらは別の僧侶ですが
数珠は水晶ではなく
何かの木のような感じですが
一個の形はソロバン玉の
ように見えます
また、枕草子の
「関白どの」の段には
仏事に向かう牛車の様子を
「四つは尼の車。一の御車は唐車
なり。それに続きてぞ、尼の車、
尻口より、水晶の数珠、薄墨の裳、袈裟、衣(きぬ)
いといみじくて、簾は上げず、
下簾も薄色の裾少し濃き。」
とありますので
数珠を往来の人たちに
意図的に見せていたようです
俵屋宗達が描いた牛車
これは清少納言の像に
数珠が付けられたものですが
上の記述のように
牛車に乗っているときに
数珠をわざと出すためには
もっと長い方がいいような
気がします