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2018年4月3日火曜日

義廣銘の鉋を入手

ある方のご厚意で
義廣銘の鉋身を
手に入れることができました
左のものがそうで
サイズは寸六(身幅62mm )
本物の義廣に切り銘のものが
あるのかは分かりませんが
身の造り込みは
古い雰囲気があります
 右は義に一の刻印が打たれた
寸四外丸鉋
義と一の刻印が離れて
打たれているのが謎ですが
義の字だけの刻印銘もあるので
義廣鉋の可能性も否めません

刻印銘を拡大

千代鶴是秀写真集に
掲載されている義の一字銘
刻印の字体は違いますね

参考までに
これは義廣刻印銘
道具曼陀羅に掲載されているもの

これは手許にある
田圃義廣の二寸鉋
揚羽マークもはっきりしています

身全体の様子
義廣は三代まで続いたようですが
これは後代のものと思われます

さっそく研いでみることにし
まずは切り銘義廣のベタ裏を
刃物砥ぎ用ディスク
グラインダーで適当に修正

こんな感じですか・・
あとは裏押しを終えてから
再度修正します

こちらは義一刻印銘の方
外丸鉋だったものを平鉋に変え

裏を出してみました
比較的容易に裏が出たので
鋼の焼き入れは甘めのようです

これで良しとします

裏押しを行い、砥ぎ上げてみました


使った砥石たち
左端はシャプトン
「刃の黒幕」320番
その右は荒めの伊予砥
そして羽黒砥
右の2丁は砥取家さんから
お世話になった仕上砥で
左は一本松・戸前
右端は丸尾山の硬口白巣板
上の左は最終仕上げに使った
硬口の菖蒲産蓮華巣板
その右は裏の返り取り専用の
仕上砥で
京都梅ヶ畑、中山産の硬口戸前

砥ぎ上げた切り銘義廣・寸六
研いでいると鋼の強靭さを感じ
仕上砥で砥ぎ傷を消すのに
やや苦労しました
炭素鋼系ですが、ヤスキハガネの
白紙1号を研いでいるような
感じを受けました
地鉄(じがね)はローモール錬鉄
でしょうか・・

刃先の拡大画像
(ピンボケお許しを)
刃先がやや乱れていますが
仕事で使うには全く問題ない
レベルです

こちらは義一刻印銘・寸四
焼入れが甘めの影響か
鋼の薄さの影響か
砥ぎ易い鋼でした
地鉄は和鉄と思われ
古い日本刀の地鉄のような
趣があります

甘めの鋼にもかかわらず
刃先がこのように乱れるのは
玉鋼によく見られる状態です
同じ砥石を使って砥ぎ上げても
甘い鋼は(硬度が低く柔らかい)
上の切り銘義廣に比べ
仕上げ砥石の砥ぎ傷が
深く付いています

2018年2月5日月曜日

変わったアンモナイト そしてHSS鉋砥ぎ

一見、丸い石に見えますが・・

パカリと割れると
中にはアンモナイトが・・
これはイギリス産

そしてこれは南米ペルー産の
アンモナイトを2個接着したものですが
一つの一部に白い筋が入っています
これは白い石のようですが
一旦、化石になったものが
地層のズレなどで途中で割れ
その隙間に新たに白い石質のものが
充填されたのでしょうか・・
不思議です


二つを接着したアンモナイトが
いつの間にか増えています・・


さて、こちらは天然の中砥
手前は硬口の伊予砥Iyo-to
上は山梨県産の羽黒砥(硬口)です
どちらもハイス鋼砥ぎに
威力を発揮してくれます

伊予砥はやや粗めで
硬口なので、目起こしをして研ぐと
55mm幅の粉末ハイス鉋を
切れが止んだ状態から砥ぎ始めて
1分も研がないうちに返りが出ます

これは最終仕上げ砥ぎを行った状態です
仕上砥は京都梅ヶ畑奥殿Okudo産の
硬口浅黄Asagi 
この仕上砥もハイス鋼によく反応してくれ
研磨力もあり
心地よく研ぐことができます
砥ぎ動画参照下さい

ハイス鉋とは思えない研ぎ上がりです

使った天然砥石
左から粗め硬口の伊予砥Iyo-to
その右は山梨県産羽黒砥Haguro-to
次は愛知県産三河名倉砥Mikawa-nagura-to
ここまでは中砥で
その右は仕上げ砥の京都新田Shinden産戸前Tomae
右端は京都奥殿Okudo 産浅黄Asagi


このとき他に研いだ鉋たち


2017年11月22日水曜日

四方反り鉋を使う そして砥ぎ

ここ篠山は雑木山の紅葉が美しい時期です

近所では野生のサルが出没

さて、工房では・・四方反り鉋の研ぎ
インスタ動画参照下さい
「転がし砥ぎ」

砥石は硬口の伊予砥

次に栃木県産の深沢青砥、硬口


仕上砥ぎは柿山砥






仕事で使う



2016年7月20日水曜日

高口定雄氏の興味深い説 その2

6月25日に紹介した高口定雄氏の興味深い説の追加分を紹介しておきます。
今回は猿田彦・サルタヒコと銅鐸、あるいは鉄の精錬、そして砥石産地との
関連性を地名とその土地から出土している考古学的資料を交えて考察がなされています。
これはこちらのブログ「猿田彦と滋賀県」のコメントとして頂いたものです。

篠山市付近の「猿田」「猿目」地名
篠山市の佐々婆神社と猿女が関係あるとの情報を得て、地名「猿田」「猿女」が、
篠山市付近に無いか調べてみました。
1.篠山市郡家小字猿目(さるめ)
2.篠山市乾新町小字猿目(さるめ)
3.丹波市山南町小畑家小字猿部谷(さるべたに)
4.丹波市山南町上滝小字サルべ

地名「猿田」について、福岡県、兵庫県、愛知県、奈良県
1.福岡県 6件 (1)糟屋郡須恵町須恵 猿田
 (2)糟屋郡須恵町上須恵 猿田
 (3)田川郡福智町赤池 猿田
 (4)宗像市吉留 猿田
 (5)福津市畦町 猿田
 (6)北九州市八幡西区藤田 猿田

2.兵庫県 6件 (1)加東市河高 サル田
 (2)加西市北条町西南 猿田
 (3)西脇市落方町 サル田
 (4)多可郡多可町八千代区俵田 猿田
 (5)豊岡市日高町知見 猿ヶ田
 (6)神崎郡福崎町高岡申田

各県の「猿田」地名件数
石川県  3件
埼玉県  1件 
茨城県 22件 
三重県  7件
高知県 10件
群馬県  3件
福岡県  6件
兵庫県  6件
愛知県 20件
奈良県  4件
千葉県 40件

周囲の地名に注意しながら調査していますが、特徴が二つあるように感じます。
 (1)付近に、「佐」「笹」などの地名が多い傾向にある。
 (2)黒部、船木、穴虫などの地名が付近に多い。
   ちなみに、遠く離れた関東の茨城県も調査中ですが、あります。
   特徴的に思うのが、舟木地名と同じ場所に「猿田」地名があることです。
   茨城県久慈郡大子町上金沢の地内に「猿田」「舟木ヶ沢」がある。
   茨城県久慈郡大子町浅川の地内に「猿田」「舟木ヶ沢」がある。
   大子町は、金や銅、粘板岩からとれる硯石の産地として地元では有名です。
   以上のことから、「猿田」地名は、「黒部」「船木」「穴虫」との相関性が強いと考えられます。
   このことは今後全国的に調査していく予定です。
   また、現状では「猿田」地名について、次のように考えています。
   現時点でのあくまでも仮説です。

猿田は、古語の「佐田」「砂田」が語源かもしれない。砂が得られる場所のようである。
たとえば、口語では、「さなた、さぬた、さのた」などのように、助詞の「な」「ぬ」「の」を
入れるのが普通であった。ところが、この「ナ行」を「ラ行」への口語変更が発生した。
「さぬた」「さるた」を発音してみるとわかるが、「さるた」のほうが、鼻音「な行」を
使用するよりも発音が楽である。

「ナ行」→「ラ行」への変音実例
1.古事記の越前国ツヌガ(都奴賀)は、倭名称では、ツルガ(敦賀)と書く
2.延喜式式内社の伊予国越智郡イガナシ(伊賀那志)神社の所在地を
   イガラシ(五十嵐)といっている。
3.美濃国山県郡ウヌマ(鵜沼)を、八雲御抄ではウルマ(宇留間)と書いている。

千葉県の「猿田」地名
千葉県には40件ありました。
それからやはり、「黒部」「船木」地名が近くに共出する傾向にありました。
関東には穴虫地名は見あたらないようです。また、古墳時代前期の遺跡も近くにあります。

例1 千葉県成田市船形小字「下猿田」「上猿田」
ここより約2km離れた成田市八代には、古墳時代前期の八代玉作遺跡」
ここより約2kmは、成田市玉造で地名「玉造」がある。
ここより約8kmは、成田市久米  久米は「くろべ→くろめ→くめ」と変化した地名

例2 千葉県長生郡長南町豊原小字「猿田」
豊原地内に油殿古墳1号墳 前方後円墳で4世紀末~5世紀初
豊原の隣の大字芝原(約2km)に能満寺古墳 前方後円墳 4世紀後半
豊原から約3kmは、千葉県茂原市上永吉小字「船木」

群馬県の「猿田」地名
<群馬県> 地名「猿田」3件
1.藤岡市上落合「猿田(さるだ)」 鏑川と鮎川の合流点
 1)地内に七興山古墳 前方後円墳 6世紀前半
  6世紀代では東日本最大級の古墳
 2)約2kmは、高崎市木部町
  木部は木之部と同じ: 兵庫県篠山市ほか
 3)約4kmの高崎市下佐野町には、古墳時代前期の
  玉作遺跡「下佐野遺跡」
  三波川変成帯の蛇紋岩による玉作

2.藤岡市白石「猿田(さるた)」
 1)前項の藤岡市上落合に隣接

3.吾妻郡吾妻町原町「猿田(さるだ)」 


高知県の調査結果
(1)安芸市土居小字「サルダ」
・土居地内に、小字「上玉造、下玉造」
・約4kmの安芸市伊尾木に、小字「砥石谷」があり、地内より銅鐸出土

(2)土佐市高岡町小字「猿田」
・地内に、小字「砥石ヶ谷」
・約7kmの高知市春野町森山に、小字「黒法師(くろぼうし)」
「くろぼうし」は「くろぼし」で、「くろぶし(黒伏)」からの変形地名と推測。
また「黒吹(くろぶき)」→「黒伏」→「くろぶし」と変化したと推定。

<注> 兵庫県朝来市生野町竹原野に小字「黒吹(くろぶき)」。
黒吹から約1kmは生野銀山。

(3)高岡郡日高村沖名小字「猿田」
前記2項の高岡町猿田から約6km離れた地域。川でいうと共に仁淀川右岸の地
・約3kmは、土佐市谷地小字「砥石谷」

(4)土佐市本村小字「猿田越(サルタゴエ)」
・地内に小字「宗像ノ平」
・約4kmは、土佐市北地小字「宗像(ムネカタ)」
・約4kmは、土佐市谷地小字「砥石谷」

(5)四万十市磯ノ川小字「猿田山」
・約5kmは、森沢鉱山(四万十市森沢、黄銅鉱)
・約5kmは、黒川恵美寿鉱山(宿毛市平田町黒川、黄銅鉱、黄鉄鉱)

(6)四万十市田野川小字「東サルタ」
・約6kmは、田ノ口鉱山(幡多郡黒潮町上田ノ口、黄銅鉱)
・約2kmは、四万十市藤小字「猪野々(いのの)」

<注>猪野々(いのの)
・兵庫県朝来市生野町「猪野々」から約2kmは、生野銀山
・京都府福知山市「猪野々」から約1kmは、梅谷鉱山(福知山市梅谷、銅、鉛、亜鉛)
・和歌山県御坊市北塩屋小字「猪野々」から約6kmは、
               和佐水銀鉱山(日高郡日高川町和佐)

(7)南国市下末松小字「猿田ノ北」
・約3kmの南国市大湧より銅鐸出土。また地内に小字「鳥取」
・約3kmの南国市田村より銅鐸出土
・約6kmの鏡香美市土佐山田町楠目より銅鐸出土

(8)高岡郡檮原町上組小字「申田(サルダ)」
・約2kmは、東向鉱山(高岡郡檮原町東向、自然金、黄銅鉱)

(9)幡多郡黒潮町田野浦小字「猿田」
・地内に小字「砥石ヶ本」
・約2kmは、田ノ口鉱山((幡多郡黒潮町上田ノ口、黄銅鉱)
・約5kmは、三の岡鉱山(四万十市古津賀、自然銅、黄銅鉱)
・約8kmは、幡多郡黒潮町蜷川小字「船木」

(10)幡多郡大月町添ノ川「小字「猿田」

トピックス
(1)石川県金沢市北塚町「猿田」
・約1kmに古墳時代初等の遺跡「古府クルビ遺跡」
「クルビ」地名は消失しているが、「くろべ(黒部)」の変形地名
・約2kmに弥生時代後期の下安原海岸遺跡(下安原町)。玉作遺跡出土。
・約3kmに弥生時代中期の寺中遺跡。玉作遺跡。
新潟県佐渡市の新穂型といってよい石鋸が出土。
なお、佐渡市に「黒目作」という地名がある。茨城県日立市にも「黒目作」地名があり、
砥石「助川青砥」産出地直近。黒目は「くろべ、くるべ(黒部)」から変化したもの。

(2)石川県松任市島田町「猿田」
約2kmは松任市長島町「クロビ田」。 「クロビ」は「くろべ(黒部)」に同じ。

(3)茨城県筑西市井上「申田(サルタ)」
・約5kmは4世紀前半の蘆間山古墳(徳持古墳とも、筑西市徳持)
・約8kmは、筑西市岡芹小字「黒部」

(4)三重県鈴鹿市山辺町「猿田」
・隣の上野町(約1km)より弥生時代の銅鐸片出土
・約3kmに弥生時代の玉作遺跡の茶山遺跡(鈴鹿市高岡町)
・約8kmに4世紀末の前方後円墳「野褒野(のぼの)王塚古墳」
・約10kmは、鈴鹿市辺法寺町小字「穴虫(あなむし)」

(5)三重県熊野市大泊には、小字「サルタ」「サダ」が共出。

(6)三重県には、地名「佐田」15件と多い。
・津市白山町佐田には、小字「舟木」
隣接する津市白山町上ノ村には小字「黒ン坊(くろんぼう)」があり、
黒部の変化地名

(7)「佐田」を古代には、連体助詞「な、ぬ、の」を追加し、「さぬた、さぬだ」
といっており、これが「さるた」に変化した可能性を想定しているが、
「さぬだ」地名が、三重県に1件存在していた。
三重県伊賀市下友田「佐奴田(さぬだ)」
付近の地名、遺跡は、
・伊賀市下友田「大黒(おおぐろ)」
伊賀市田中「黒口(くろぐち)」
・約4kmは、古墳時代前期の東山古墳(伊賀市円徳院)。伊賀地方最古。
・約7kmは、古墳時代前期の山神寄建神社古墳(伊賀市山神)
唐草文帯三神三獣の三角縁神獣鏡が出土。同笵鏡はないが、
同じ文様では奈良県の鏡作神社からも発見されており、
かつ鏡作神社直近に「黒部」「穴虫」地名がある。

「佐田」「大貞」なども調査の必要を感じていますが、まずは「猿田」優先で調査の予定。
なお、地名と遺跡の距離は、15km以内で調査しています。
奈良時代の駅家間平均距離が14.7kmとの報告があり、これを根拠に
同一居住圏の範囲は、15km以内と仮定したものです。

「完全踏査古代の道」 木下良監修、武部健一著  2004年10月1日発行 吉川弘文館


「笹場(ささば)」地名
前橋市小屋原町「笹場」
地内を広瀬川が流れるが、古くは広瀬川が、利根川の流路であった。
1)約3kmに前橋天神山古墳(前橋市広瀬町)4世紀前半の前方後円墳
 三角縁神獣鏡が出土し、同じ鋳型で鋳造された鏡として、
 奈良県櫻井市桜井茶臼山古墳、 奈良県天理市黒塚古墳の鏡がある
 参考: 奈良県桜井茶臼山古墳の近傍地名:黒目、穴蒸(あなむし)、木部(きべ)

2)約5kmの弥生時代後期の西太田遺跡(伊勢崎市安堀町)
 から、甕に入った砂鉄が出土
 甕の種類形式は、茨城県北部の十王台式土器(日立市含む)

3)約5kmは、前橋市上佐鳥町、下佐鳥町
 佐鳥(さどり)は、砂取(さとり)のことと思われる。

三重県津市の「しぶみ」という地名
<三重県津市渋見町(しぶみちょう)>
1.地内に「志夫美神社」 延喜式式内社の志夫彌神社  祭神志夫美神
2.渋見町地内に小字「赤目」「塩田」
3.約3kmは、津市安濃町清水小字「黒部」
4.約2kmの津市野田より銅鐸出土

三重県で、砥石と銅鐸が関係する事例
京都府京都市右京区梅ケ畑は仕上砥石産地でかつ銅鐸出土していますが、
これを含めて2例目です。

三重県津市白山町川口小字「砥石谷」
ただし本当に砥石が産出されたとの記録は未確認です。
川口から約4kmは、津市白山町藤小字「舟木」。
川口から約3kmは、津市白山町「北家城、南家城(いえき)」。
地名研究で有名な谷川健一は、その著「青銅の神の足跡」で、
家城=伊福(いふく、いふき、いおき)で、伊福は銅鐸鋳造に関わる集団だと述べています。

高知県安芸市伊尾木の小字地名「砥石谷」
伊尾木からは銅鐸が出土しています。
砥石を産出したとの記録は未確認。
銅鐸の時代に砥石が重要な資源のひとつとして認識され使用されていたことが、
3件のデーターで言えるかと思います。

和歌山県の地名事例。砥石との関係は未調査。
和歌山県御坊市塩屋町北塩屋小字「黒免(くろめ)」 
                   「くろめ」は「くろべ(黒部)」の変化地名
(1)約6kmに和佐水銀鉱山(日高郡日高川町和佐)
(2)約4kmは御坊市湯川町小松原で銅鐸出土
(3)約9kmは、日高郡日高川町蛇尾小字「船木谷」


ここからは私の補足として、兵庫県姫路市と和歌山県の例を紹介しておきます。
まず姫路市に砥堀という地名があり、そこから6kmほどのところに、銅鐸の
鋳型片が出土している今宿丁田遺跡名古山遺跡があります(地図参照下さい)。
名古山遺跡の鋳型片は砥石として再使用されていた形跡があるということです。

それから近年まで紀州砥という荒砥が採掘されていた和歌山県白浜近辺と
銅鐸が出土している3ヶ所の地(地図参照下さい)。

そして但馬砥の産地、兵庫県豊岡市日高町では多数の銅鐸の破片が発見された
久田谷遺跡があります(地図参照下さい)。

2016年3月17日木曜日

古い会津鉋 重清銘を入手

古い会津鉋
重清銘の鉋身を2枚手に入れました

右は際鉋(身幅約43mm)
左は内丸鉋(身幅約38mm)

堤章氏の著書「会津の刃物鍛冶」によると
重清銘の刃物を鍛えていたのは三浦清吉
という人で、この人は若林猪之吉系の
若林守蔵の弟子
大正~昭和時代の人

明治時代以降の会津刃物の祖は
刀工であった若林安右衛門の長男・安左衛門と
次男の猪之吉とされ、両人とも刀工でしたが
明治時代の廃刀令により
多くの刀鍛冶匠が刃物鍛冶に転向していったように
この兄弟も重房銘で刃物を鍛えるのが
本業となっていったようです

会津刃物の元祖とも言える
重房の登場となるわけですが
兄弟どちらも重房を名乗り
本家を譲らなかったということで
話し合いの結果
兄の安左衛門は銘の重の字の里部分を
上まで通さずに里にし(通称・里重)
弟の猪之吉は銘の重をそのまま表記する(通称・通し重)
ということで重房銘を区別することが決まったそうです
それ以来、弟子筋はその掟を踏襲したということですが
この重清は「通し重」になっていますので
次男の若林猪之吉系ということになります


平鉋として使うため刃先を修正
裏出しを終えた状態
これは際鉋だったもの

鎬面をグラインダーで成形
刃角度は約28度

会津鉋独特の身の薄さ
特に奥の内丸鉋は薄造りで
薄いところは3.2mmほど

左の内丸鉋(身幅約38mm)は
地鉄が硬く裏がほとんど出なかった

その後裏押しを行い、研ぎ上げた状態

そして天然砥石で研いでいく
これは中砥ぎの伊予砥(粒度grit約600)

鋼Haganeと地鉄Jiganeの境がないような・・

次に丹波産の粗めの青砥を(粒度約1000)使う


そして、今度は硬口の青砥をかける(粒度約1200)

やはり鋼と地鉄の鍛接境がないような・・

中砥ぎの最後として
鳥取県産の因幡砥Inaba-toを使う(粒度約2000)



仕上砥ぎは、現在主力で使っている
滋賀県相岩谷産の巣板を使う

やはり全鋼All steelでした・・
しかしながら普通に研ぐことが出来るのは不思議です
甘めの焼入れなのでしょうか

刃先を拡大してみると
やはり鋼の硬度が低めのような印象を受けます


こちらは際鉋の方

こちらは鋼と地鉄の鍛接面がはっきりと分かります

研ぎ上がりは、上の全鋼のものよりも
硬度がある影響か研ぎ傷が浅く
刃先が精緻に揃っています