2010年10月12日火曜日

天の逆鉾と猿田彦

鹿児島県霧島に聳える高千穂の峰の頂上に「天の逆鉾」が突き刺さっています。これを違った角度から見たものが下の写真ですが、顔の正面の裏側にも同じ顔があることが分かります。
両方の尖った鼻を持ったこの人物を加治木義博氏は猿田彦ではないかとしているのです。 この逆鉾は出ている部分が約1,5mあり、その他の部分がどれくらいの長さがあるのか不明のようですが、いつの時代のものかも分かっていないようです。
加治木氏はこれを、神功皇后が新羅を討った際に新羅王の門に突き立てた矛であるとしているのですが、これにはちょっと無理があります。日本書紀では、神功皇后が杖としていた矛を突き立てたとされているので、大きさから云ってもちょっと納得できません。それに、もし新羅王の門に突き立てたものだとして、朝鮮半島からこの鹿児島県の山の頂上までどうやって移動させたのでしょうか・・
その必要性は何だったのでしょうか・・。
私はこの逆鉾を見て、中国三星堆遺跡から出土している青銅器を連想したのです(参照)。



2010年10月10日日曜日

古代の釣り針鋳型

これは古代中国、戦国時代(紀元前403年~221年)
遺跡から出土したとされる釣り針の鋳型です
鋳型の長さは9,7cm、幅5,5cm、厚み1,2cm
ということですから
釣り針の長さは約8cm、幅約4cmと
けっこう大きいものですね

当時、鋳型で作られるものは青銅が主だったので
この釣り針も青銅製だったと思われます
鋳出した釣り針の先端を鋭利にするためには
おそらく砥石で研いだのだろうと思われるのですが
中国ではどのような砥石を使っていたのか
知りたいところです

2010年10月8日金曜日

出土砥石の試し研ぎ

以前紹介した出土砥石を加工し
研ぎ面を出してみました

ひじょうに硬い石なので
面出しに苦労しましたが
研ぎ面の仕上具合で
刃物への傷の付き方が変化します
今回は、前回試したときよりも
細かい粒度のダイヤモンド砥石で仕上げたので
研ぎ上がりはほとんど鏡面に仕上がったのです
これには驚きました

動画をUP
しました




2010年10月7日木曜日

日本刀の将来を憂う

御先祖に刀匠を持つ簗瀬(やなせ)哲也氏が、
日本美術刀剣保存協会長崎支部に寄せられた文を紹介したいと思います。
簗瀬氏は長崎市在住、長崎簗瀬家47代目・・源義光流れ(武田家に同じ)。
この文についての私のコメントは控えさせていただき、
皆様の判断にお任せしたいと思います。
文は簗瀬氏から送っていただいた画像のままUPしました。文のところを右クリックして別ウィンドウで開くと大きな画像が見られます。




2010年10月6日水曜日

19世紀ギター ラプレヴォット裏板内側彫り

製作中の19世紀ギター 
ラプレヴォット・タイプの裏板内側彫りの様子を
You tube にUPしました