2014年2月20日木曜日

磨工室瑣談から浄教寺砥について その2

磨工室瑣談四十一の八十三 浄教寺砥に就て
現代語風に読み下しておきます
その1はこちら

浄教寺じょうけんじ赤砥(参照) 


浄教寺白砥(参照






磨工室瑣談 四十一
八十三、浄教寺砥に就いて
陸軍一等薬剤官 藤永賢仁

浄教寺砥については、さきに磨工室瑣談第二に於いて松木看護長の報告があり、今また鯖江衛戊病院からの報告に接し、さらに詳細に知ることができたので、許可を得てこれを掲げておきます(北川薬剤正)。

一、沿革及び歴史
詳細な歴史記述は存在しないが古老の言い伝えによれば、今から400年前、戦国時代に朝倉義景が足羽郡一乗谷村に城を構え、隆盛を極めていた時代に浄教寺砥はすでに発見・採掘されていたということである。発見当初は地元民の雑用として使われていたに過ぎないが、50年ほどの後、ある刀剣師によりこの砥石の良さが認められ、しだいに諸藩の刀剣界に用いられるようになった。
そうして150年前、大阪の蓬莱屋という砥石屋が盛んにこの砥石の採掘を始め、全国的に販路を開拓していたが、途中、大山崩れの災害に遭遇したため多数の死傷者を出し採掘を中止せざるを得なかった。その後はほとんど廃坑の状態だったが、明治29年頃、浄教寺区民が集まり協議した結果、砥石山を区の共有財産として、昔のように盛大に採掘することとし、入札の上、年貢一円五十銭で20年間責任採掘することを約束した。その間、明治37~38年から40年に至るまで採掘作業は最も全盛を極め、年産1140トン~1520トンを突破し、全国各地の煙草専売局の大量の需要にも応じたということである。その後、大正15年にはさらに年貢350円の契約入札で採掘権を行使し現在に至っている。
現在の採掘者は、
赤砥:吉田俊雄 福井県足羽郡一乗谷浄教寺区 従業員4名
白砥:伊与仁作 福井県足羽郡一乗谷浄教寺区 従業員2名

伊与仁作氏が経営している砥石山は個人所有で、4年前に赤砥坑付近から白砥山を発見し採掘を始めたが、これはどちらも足羽郡方面の山腹にあり、これと反対側の今立郡方面の山腹は寺中村の尾崎仁作吉という者が現在採掘している。

二、砥石山の位置
浄教寺砥を産出する地区は福井県足羽郡一乗谷浄教寺区より約2km隔たった山腹にあり、足羽、今立、大野の三郡の郡境に位置し、海抜465.3mの高地にある。足羽郡側からは赤砥坑と白砥坑があり、今立郡側には薄赤砥坑があり、両側から採掘されている。
浄教寺区から砥石山に至る途中には有名な一乗ヶ瀧(梵字瀧とも呼ばれている)があり、真夏には福井方面からの避暑客が多い。福井市から浄教寺に向かうときは美濃街道または下東郷、東郷村を経て安波賀で美濃街道と合流し、さらに城戸の内、西新町、東新町を経て浄教寺に至る。その間、道路(県道)は比較的良好で、荷馬車や自動車の通行は容易である。浄教寺区からは道が狭くなるが一乗ヶ瀧近辺までは小型自動車の通行は可能である。さらに近道を求めた場合、福井市から足羽川堤防に沿って河原脇まで遡り東郷街道に合流し、安波賀から浄教寺に行くのが便利である。距離は16kmほどで道路は良好である。安波賀から途中の城戸の内付近には朝倉義景の墓所と城跡があり、桃山時代の建造物がまだ現存している。

三、産出の状況
吉田俊雄氏が採掘している砥石山は70年ほど前から採掘され次第に掘り進み、今では18mほどの坑道内で火薬や金矢を使って100kg~150kg大の塊にし、40mほどの軌道で石小屋付近まで運ばれる。砥石山は縦の方向におよそ30cm~90cmほどの厚さの砥石層が無数に並列していて、各層の間には小さな亀裂が入っている。これに沿って金矢を打ち込むと容易に離脱することができるが、横の層に比べて作業は比較的困難である。また、赤砥層の所々に円形で質が強硬な白砥の塊が間在していることがある。砥石の質は上層よりも下層のものが良好で、現在も次第に下層に掘り進んでいて、坑内に水が溜まっている状態である。
尚、現在採掘している左側には往年盛んに採掘された坑があり、下層は20年~30年前までは約20m四方の穴を形成していて水が深く溜まっていたので、これを汲み出して採掘していた。後には隧道(トンネル)式の排水溝を設けそこから排水し、さらに深く採掘を継続したが、充分な成績を収めることができなかったのでこれを埋め立て、現在の箇所を採掘するようになったという。
赤砥坑から20m~30m隔てた谷間に白砥を産出する坑がある。この白砥も赤砥と同様縦層になって並列している。質は柔軟質と強硬質の両方あるが、後者は砥石として不適当なのでほとんど採掘していない。柔軟な白砥の内部に所々胡桃(クルミ)大の硬い部分(星と言っている)が入っているのが欠点で、これを除去しながら加工している。
赤砥坑と白砥坑の中間山腹からは淡黒褐色の緻密な潤(うるみ)砥(泡砥とも言う)が産出する。
以前はかなり採掘し、越前(福井県)の片山、能登(石川県)の輪島、加賀(石川県)の山中などの漆器山地で小割砥として刃物研ぎに使われていたが、現在では需要が減少し採掘していない。
浄教寺砥は福井県の物産としては極めて少量であるが、その販路は全国的に普及し、年間380トンほど採掘されていて、東京、名古屋、大阪方面に移出している。
昨今、次第に需要量が減少し、全盛期の三分の一ほどの年産量となっている。しかしながら、砥石山は埋蔵量は豊富なので、需要を開拓していっても供給が不足になったりはしない。
ここ数年間の年産額の調査報告は表を参照されたし(参照)。

四、採掘方法
採掘作業は毎年4月~5月の雪解けを待って開始され、12月下旬まで行われる。作業は常雇いの人夫約30名、臨時雇いの人夫約20名、合計50名ほどで行われたそうだが、昨今は14名ほどで行われるに過ぎない状態である。
浄教寺砥は各層の裂目に沿って金矢という道具、あるいは火薬を使って離脱させ、鶴嘴(ツルハシ)、斧などで不要の部分を除き、軌道を使って石小屋の中に運搬して加工し(表参照)、一梱包60kgほどの荷物にして需要先に直送している。あるいは自宅に担ぎ込んで貯蔵し、冬籠もりの時期に加工して出荷している。価格は白砥は赤砥の約半額である。
採掘や加工に使用する道具類は簡単なものが用いられ、まだ動力等の利用はなされていないということである。主に使用する道具は長・短、厚・薄各種の金矢、十字鍬(クワ)、斧、鶴嘴(ツルハシ)、鉈(ナタ)、砥鋸等でその形状は図のようなものである。
砥石小屋内にはこれらの道具を焼き入れ修理するために鞴(フイゴ)の設備がある。砥脈の離脱には火薬を使用することもあるが、金矢に比べ砥石に亀裂が入ることが多いという。

五、浄教寺砥の種類と性状
この砥石は品質によりおよそ次の四種類に区分されている。
1、潤(うるみ)砥: 黒褐色で最も緻密な質で品質も良い。
2、赤砥     : 灰赤褐色で質は緻密。美しい紋理(模様)がある。
3、薄赤砥    : 淡灰赤色で質はやや粗く、黒褐色の紋理がある。 
4、白砥     : 灰白色で質は柔らかい。

白砥も2種類あるがその一種は質が硬くほとんど砥石として使えない。潤砥は品質が良いが産出量が少なく、一般に赤砥を上等品とし、灰赤褐色でやや緻密な質な中に灰褐色または黒褐色の波紋状の紋理と斑点があるものを真正の浄教寺砥と呼んでいる。
この砥石の名称に関しては、書籍によっては浄慶寺あるいは浄見寺と記載されているが、原産地の地名から考えると浄教寺砥と記載するのが適当と思われる。

六、浄教寺砥の用途
刀剣類の中研ぎ用として用いられ、一般には鎌、鉈、包丁、剃刀、鋏類の打刃物の刃付け用として打刃物工場、大工、家庭などで愛用されている。
尚、白砥は赤砥に比べ品質が劣るので、小さなものは鎌、大きなものは大工の鉋などの刃付用として北陸地方に販路がある程度である。

七、販路
北陸及び関東、関西地方の金物問屋、並びに砥石屋に直送し、全国一般に広く普及している。   


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