2019年7月27日土曜日

天野信景 塩尻百巻史料事典

徳川将軍綱吉の時代
宝永四年(1707年)10月14日の
大地震で静岡県に大津波が来襲
翌年11月23日
死火山と思われていた
富士山が噴火

これは江戸時代中頃から後期に
かけての尾張藩士であった
天野信景sadakageが書いた
「塩尻百巻史料事典」に
掲載されている図
他に興味深いものを
紹介しておきます
この書物は一応事典という
かたちをとっていますが
実は徳川幕府を批判する
反体制の書物
そういうことなので
尾張藩に迷惑がかからないよう
随筆風の雑学本の体をとり
幕府からの咎めを受けないように
取り繕いがなされています
そういうこともあってか
この原本が出版されたのも
信景没後50年後となっています

伊勢国第一の高峰
冠嶽kamagatake
現在の鎌ヶ岳

遠州(遠江tohtoumi国)
豊田郡月村の百姓
作十が所持している
古い鍬kuwaから
枝が出、花が咲いたという記録

ヤドカリは当時
蟹蜷(こうな)と呼ばれていた

その説明

伊勢の安濃郡にある
厳鶯山梅林寺の
貝石と呼ばれる景観と
木曽路和田峠名物の
星屑は甲州(山梨県)の
黒水晶なり
と説明されているものの
図と思われます
くずし字の説明は
右は「貝のから(殻)落ちたる
跡にて黒くして
みたき(見たき?)物なり」
左は「かかる類は一二にあらず」

名古屋城の南にある
真福寺(大須観音のことか)の
戯場の側で見せ物されていた珍獣
体長40cmほど
毛は黒く、目の上に少し
白毛がある
尾は猫に似ていて
長さは体と同じくらい
体に灰色の筋がある
酒を好み、盃を手に持って吸う
と説明がなされています

鞆決拾tomoekakeの図
現在の古語字典にも
載せられておらず
元禄時代でも難解とされていた
王朝言葉らしい

伊勢神宮の
唐ぶり密家宝塔だての
地鎮に使うインド式の神具

正徳四年(1714年)に
発見され殺された
とされる異獣

門立柱の図三種
門立柱は元々は鳥居で
図のように鳥居の形が
基本となっている

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