2021年4月13日火曜日

日本列島 激変説の極み

 
以前紹介した九州北部の
宗像munakataで
発見されている
弥生時代前期の水田跡と
遠賀川式土器が


同じ時代の青森県の
砂沢遺跡で発見されている謎
なぜ温暖な九州と
寒冷地である青森県に
同時代にあったのか
不思議だったのですが


仮に日本列島を
中央構造線で分断し
このように緯度が
同じになるような状態で
しかも九州北部と青森県が
近い状態であったとしたら
あり得ないことはないな・・
などと妄想したり
していたのですが
それに近い説を
唱えている人がいたのです
これには驚きました
その人は米田良三氏と
飛鳥昭雄氏

まずこちらは
飛鳥昭雄氏の著書
「邪馬台国の謎と
逆転日本列島」
に記載されている
紀元前300年頃の日本列島
西日本と東日本
そして北海道が太平洋上に
分散していて
西日本は中国大陸の
江南地方と接触しています
著者は西日本の
弥生時代の遺物と
同時代の中国の江南地方の
遺物が共通していることは
この影響ではないかと
説明しています
氏によると
この図はアメリカ軍の
最新データから引用した
ということですが
入手経路については
詳細は伏せられています
青字の説明は著書の説明を
こちらで記入したものです

こちらは紀元30年頃の様子
西日本と東日本が
かなり接近していて
南北が現在とは
逆転しています


そして
魏志倭人伝で説明されている
卑弥呼の時代の
紀元3世紀頃の倭国の説明は
上の紀元30年頃の
東日本と西日本が合体された
日本列島として見ると
ほぼ合うらしい・・

これは15世紀頃に
描かれたとされる
混一理歴代国都之図
という地図ですが
ここで描かれている
日本列島も
上の紀元3世紀頃の図と
同様です、ということは
この図はデタラメではなく
何らかの根拠が
あったのかもしれません

米田良三氏の説は
(氏による作図)

日本列島の
西日本と東日本が
合体する時期は
紀元前2000年頃としています
飛鳥説も米田説も
合体したところは
一致しています

この図は紀元前2000年以前の
合体直前の状態で
黒い部分は海
つまり海峡ですね
フォッサマグナの西の端
西日本の端になっています
米田氏はこの海峡を暘谷yohkoku
と名付けていますが
これは紀元前後の
中国の史書から
引用されています
記載されています
この海峡を境に
西日本と東日本は
分断されていた時期があり
その影響で
様々な文化的な違いが
今でも残っている
としています
たとえば
「薬指」と「紅差し指」
指の呼び方
それから、東日本で出土する
西日本ではほとんど
出土しないなど・・
逆に、出雲地方(島根県)に
東北弁を話す地域があるのは
出雲と東北が近かった影響
ではないか、とも
思えるのです
地球上の陸地は
プレート状になっていて
それぞれ移動していると
されていますが
その移動の仕方は
長い年月をかけて少しずつ
移動するとする斉一説
大隕石が地球に衝突したり
あるいは
アトランティス大陸や
ムー大陸が数日で海に沈んだ
とされる伝説や
ノアの方舟伝説のように
短期間で地形が
変わってしまう
あるいは高速でプレートが
移動する激変説と
いうものがあります
私が興味を持っている
アンモナイトや三葉虫の
化石などは
天変地異などで海底が
激変し、あっという間に
埋まらなければ
出来ないのです

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

トンデモないけどロマンある。

にらいかない さんのコメント...

神話だとスサノオは島を移動させた。
ダイダラボッチも日本列島を創造した。
国歌でも石は巌となりて巨大化するものとされる。

やっぱ岩は動くもんだと古代人は知ってたんだな。

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

コメントありがとうございます。

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

コメントありがとうございます。