2010年1月14日木曜日
2010年1月10日日曜日
2010年1月4日月曜日
古代の製鉄 その12
兵庫県西脇市にある天目一神社近くを流れている加古川の10kmほど下流には、先日紹介した手焙り形土器が出土している加東市があります。また天目一神社の近辺には、鍛冶という名の付いた地名や、鉄を象徴する地名である黒田庄という所があります。それから、古代の製鉄遺跡がある場所の近くによく見られる牧野という地名もあるのです。その北隣の山南町には牧山という山と神社があり、近くには牧山川が流れています。因みに、他にマキノという地名は、滋賀県の琵琶湖西岸にもあり、その地には古代製鉄遺跡もあります(地図参照)。興味深いことは、参照地図に印している余呉湖がある伊香郡(いかぐん)には羽衣(はごろも)伝説があるのですが、江戸時代中頃の伴信友は著書・神名帳考証の「伊香具(いかこの)神社」の項で、当地に伝わる不思議な話を取り上げています。
そこでは、古老の云い伝えとして、余呉湖の南側の入江に白鳥に乗った女性が天から八人舞い降り、この様子を見ていた男が、白鳥の形が奇異だったので神人ではないかと思い、近くに行ってみると天女(てんにょ)であった。その男はひそかに白い犬をけしかけて一人の天女の衣を盗ませた・・云々。ということを記しているのです。
白鳥というのは日本の古代史にはよく登場し、兵庫県の播磨地方、優秀な鉄の産地として知られている千種(ちくさ)には、この地の製鉄技術は出雲(いずも)から白鳥に乗ってやってきた金屋子神によってもたらされたという言い伝えがあります。
古事記・日本書紀に記されている日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は草薙剣(クサナギノツルギ)を持っていましたが、この日本武尊が死後白鳥となって天に飛び去ったという記述は見逃せません。
こうしてみると、白鳥というのは産鉄民族の象徴であったかのようです・・
そこでは、古老の云い伝えとして、余呉湖の南側の入江に白鳥に乗った女性が天から八人舞い降り、この様子を見ていた男が、白鳥の形が奇異だったので神人ではないかと思い、近くに行ってみると天女(てんにょ)であった。その男はひそかに白い犬をけしかけて一人の天女の衣を盗ませた・・云々。ということを記しているのです。
白鳥というのは日本の古代史にはよく登場し、兵庫県の播磨地方、優秀な鉄の産地として知られている千種(ちくさ)には、この地の製鉄技術は出雲(いずも)から白鳥に乗ってやってきた金屋子神によってもたらされたという言い伝えがあります。
古事記・日本書紀に記されている日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は草薙剣(クサナギノツルギ)を持っていましたが、この日本武尊が死後白鳥となって天に飛び去ったという記述は見逃せません。
こうしてみると、白鳥というのは産鉄民族の象徴であったかのようです・・
インドのインダス文明の遺跡から
発見された神官とされる像
発見された神官とされる像
2009年12月29日火曜日
古代の製鉄 その11
兵庫県西脇市にある
天目一(あめのまひとつ)神社に
足を運びました
足を運びました
天目一はこれまで述べてきた
天目一箇と同義ですから
以下このように書き表します
この地に建てられた
ということですですが
この地域に天目一箇神社が
あったのは
ということですですが
この地域に天目一箇神社が
あったのは
延喜式内社として
記録されているので
記録されているので
間違いはなさそうです 参照
石碑に併記されている平野神社は
この地の鎮守だったので
合祀したということです
合祀したということです
たいへん立派な社殿が
建てられています
建物の装飾に
このように象を神像化
したものが付けられています
このような例は
ここ丹波地方の神社でも
よく見られます
たとえば、これは
篠山川沿い(篠山市)の
とある八幡(はちまん)神社ですが
この社殿にも同じ装飾が
施されています
社殿の脇にはこのような
レリーフも見られます
これは明らかにインドの
影響だと思われます
因みにこれは
古代インド(紀元前3世紀頃)
の建造物の柱の装飾ですが
よく似たモチーフが
用いられています
この神社の社殿には
このような鳥も
付けられています
一見ウズラのようにも
見えますが
八幡神社なので
鳩(はと)だと思われます
建てられています
建物の装飾に
このように象を神像化
したものが付けられています
このような例は
ここ丹波地方の神社でも
よく見られます
たとえば、これは
篠山川沿い(篠山市)の
とある八幡(はちまん)神社ですが
この社殿にも同じ装飾が
施されています
社殿の脇にはこのような
レリーフも見られます
これは明らかにインドの
影響だと思われます
因みにこれは
古代インド(紀元前3世紀頃)
の建造物の柱の装飾ですが
よく似たモチーフが
用いられています
この神社の社殿には
このような鳥も
付けられています
一見ウズラのようにも
見えますが
八幡神社なので
鳩(はと)だと思われます
以前、地元の人に
なぜこのように象の装飾や
ハトが付けられているのか
尋ねたことがありますが
何故だか知らないということでした
このような例は以前、随想で紹介したことがありますが
参照(七段目)
地元の人たちは
昔からの言い伝えで
なぜこのように象の装飾や
ハトが付けられているのか
尋ねたことがありますが
何故だか知らないということでした
このような例は以前、随想で紹介したことがありますが
参照(七段目)
地元の人たちは
昔からの言い伝えで
やっているだけ、という風習に
以外に古くから伝わっていることがあるのです
他には、例えば篠山の
ある地域では
葬式の出棺の際に
亡くなった人が使っていた
茶碗を割るという風習がありますが
このようなことは丹波地域では
弥生時代から行われていたことが
分かっています
他には、例えば篠山の
ある地域では
葬式の出棺の際に
亡くなった人が使っていた
茶碗を割るという風習がありますが
このようなことは丹波地域では
弥生時代から行われていたことが
分かっています
2009年12月25日金曜日
丸尾山砥石恐るべし
久しぶりに砥取家さんを訪れました
国道372号線が亀岡市に入って間もなく
左折し、北東に進むと丸尾山が見えてきます
工房からは車で30分ほどで行けます
このあたり一帯はあちこちに砥石山があり
優れた砥石として知られている神前産(こうざき)の砥石山もこのすぐ近くにあります(神前産の砥石は、現在は掘られていません)
また、優れた中砥である丹波青砥も、ここから
ほど遠くない所で採掘されているのです
砥取家さんのすぐ近くには
このように杉の大木が聳えていて
大内神社があります
まずここで挨拶をし、砥取家さんに向かいます
掘り出してきた原石を加工する作業所の脇に
試し研ぎのための砥石が所狭しと並べられています
今回は、強靭な特殊鋼の鉋(かんな)を研ぐための
中継ぎ用の仕上げ砥石を探しにきました
23日に述べたように
硬めで力のあるものはないかと
あれこれと試させてもらいました
そして、2枚の仕上げ砥石を手に入れました
これはそのうちの1枚で、丸尾山の
八枚層のものだそうです
23日に紹介した産地不明の優れた砥石に
よく似た反応を示してくれました
この砥石は緻密で透明感があり
大理石のように見えます。砥石は見ただけでは判らない
典型のようなものでした。筋は全く当たりません
研磨力も申し分なく、1分ほどで
中砥の#1500の傷をほぼ消すことができました
私はこの後鏡面仕上げをしますが
このままでも充分使えます
そして、これは御主人もいつのものか判らない
というほど古い仕上げ砥石で
四代続いている砥石採掘の御先祖の
誰かが掘ったものだろうということです
採れた山は丸尾山ではないということです
このような砥石は、これまで見たことがありません
裏と側の様子ですが
側は今のように機械で挽いたものではなく
手鋸で挽いたものだそうです
これは上の八枚層のものより硬い砥石ですがよく反応し
強い研磨力があります
これも1分ほどで中砥の傷を消すことができました
申し分なしの仕上がりです
刃先の拡大写真
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