先日、神戸大丸ミュージアムで行われている
藤田嗣治(つぐはる)展に足を運びました
藤田嗣治の絵は、若い頃から淡い憧憬の思いで
見つめてきました
自伝を読んで何故藤田の絵が
日本での評価が高くないのかということも知りました
フランスで人気を博した藤田の日本的な繊細な線
日本人のこの繊細さはときに姑息さに変貌します
その姑息さに藤田は我慢がならなかった
若い頃に日本の画壇に嫌気が差し
戦後の戦争責任のなすり合いに嫌気が差した
藤田の絵に(とくにデッサン)私は
壮大さと力強さを感じます
これは天平時代から鎌倉時代の建造物に
感じるものと同じなのです
日本人が本来持っていたものです
あの壮大な木造建造物を建てた宮大工と
同じ修練を藤田は絵で行っていたと思うのです
藤田はかなりの早描きだったということですが
その修練は、画家として当然のことを
毎日やっているだけだとサラリと自伝に書かれています











