2010年2月6日土曜日

藤田嗣治

先日、神戸大丸ミュージアムで行われている
藤田嗣治(つぐはる)に足を運びました
藤田嗣治の絵は、若い頃から淡い憧憬の思いで
見つめてきました
自伝を読んで何故藤田の絵が
日本での評価が高くないのかということも知りました

フランスで人気を博した藤田の日本的な繊細な線
日本人のこの繊細さはときに姑息さに変貌します
その姑息さに藤田は我慢がならなかった
若い頃に日本の画壇に嫌気が差し
戦後の戦争責任のなすり合いに嫌気が差した

藤田の絵に(とくにデッサン)私は
壮大さと力強さを感じます
これは天平時代から鎌倉時代の建造物に
感じるものと同じなのです
日本人が本来持っていたものです
あの壮大な木造建造物を建てた宮大工と
同じ修練を藤田は絵で行っていたと思うのです
藤田はかなりの早描きだったということですが
その修練は、画家として当然のことを
毎日やっているだけだとサラリと自伝に書かれています




2010年2月1日月曜日

目〆伊予砥

伊予砥という天然砥石の中砥(仕上げ砥石の前に使う砥石)は
HPの砥石関連ページでも紹介しましたが
下の写真の砥石は伊予砥のなかでも「目〆(めしめ)」と
云われているものです
伊予砥は一時採掘が中断していましたが
最近また掘り始められています
それがネット販売もされているので
先日、さざれ銘砥から購入しました


天然中砥の代表的砥石である青砥は
よく反応しますが、その反応は均一的です
伊予砥のなかにもそれと同様の
反応をするものもありますが
目〆伊予砥は最初の取っ掛かりが鈍く
刃物によっては全く反応してくれません
ところが、この砥石の表面をダイヤモンド砥石や
同じ伊予砥の破片などで磨り
砥汁を出してから研ぎ始めると
よく反応してくれ、その後の研ぎ心地が
刃物によって微妙に変化していくのです
それは、正に砥石の表面が締まっていく感じで
目〆という表現がピッタリなのです
上の写真右はノミを研いだ研ぎ汁です



このように、中砥とは思えない仕上がりで
研ぐときの力加減と水の加減で
様々に反応しれくれるのです
また、傷が浅いので仕上げも大変楽です



こちらは玉鋼の鉋を研いだものです
これは砥石の面磨りをしていませんが
よく反応しました




この前の段階の砥石は
シャプトン・刃の黒幕#1000で研いだものです
その深い傷を短時間でここまで消すことができるのです


2010年1月26日火曜日

古代の製鉄 その13

前回、羽衣伝説と白鳥について述べましたが、この白鳥は「はくちょう」ではなく「しらとり」で、鳥の種類を云うのではなく、白い鳥全般を指しているものです。ですから、それはサギやツルでもあり、文字どうりハクチョウでもある得ることになります。真白ではありませんがコウノトリも含まれるかもしれません。
それを裏付けるように、例えば、製鉄技術に関した文献に「鉄山必要記事」というものがあるのですが、この中で金屋子神(かなやごのかみ)の由来が述べられています。そこでは、播磨国志相郡岩鍋(現在の宍粟市千種町岩野邊)にある桂(かつら)の木に、高天原(たかまがはら)より神が降り、人々が驚いて「如何なる神ぞ」と問うと、神託で、「我は是れ、作金者金屋子の神なり」と答え、その地に製鉄技術を伝えます。その後、「我は西の方を守る神なれば、むべ住むところあらん」と云って、白鷺に乗り西の国、 出雲国野義郡黒田の奥非田という所に移ったということが述べられています。ところが、地元千種の言い伝えでは、白鷺ではなく鶴に乗って去っていったとなっているのです。




2010年1月20日水曜日

サルノコシカケ ゲットその2

久しぶりに山歩きをしたら
倒れた松の木にサルノコシカケを発見
この時には、数本の松の大木が
倒れているのを見かけました
ここのところ、枯れた松の木が多く
見られるような気がします

これはクロマツの木に付いていたもの
木の直径は50cmほどあったので
サルノコシカケも 大きなものが付いていた
最大のもので直径25cm以上あります






こちらは桜の枝に付いていたもので
直径は10cmくらいの小さなもの
紅色が美しい

2010年1月14日木曜日

丸尾山砥石恐るべし その2


先般手に入れた丸尾山産八枚層の仕上げ砥石を様々試しているのですがその対応の広さと研磨力には驚くしかありません

これはハイス全鋼の鉋を研いだものです強靭なハイス全鋼でも反応がよくサクサクと力強く卸してくれるのです








2分ほど研いだ仕上がりの様子ですが
鋼の沸粒(にえつぶ)がクッキリと現れています
ということは、前段階の中砥但馬砥の傷が
ほとんど消えているということです
これには全く驚いてしまいます