昨日、猿田彦の死因について少し述べましたが、
お気付きの方もあったかもしれませんが、この話は
インドネシア近辺の説話なのです。それが古事記では、
猿田彦が伊勢(三重県)の阿邪訶(あざか)にいる時、
漁(いざり)をしていて比良夫(ひらぶ)貝に手を挟まれて
溺れ死んだとなっています。
この阿邪訶という地名は、現在の三重県阿坂(地図参照)と
するのが一般的のようですが、阿邪訶は地名ではなく、
沖縄で言うアザカイであるという説もあります。
アザカイとはシャコ貝のことで、ですから、インドネシア系の
「猿がシャコ貝に手を挟まれて死んだ」という説話が
沖縄経由で伊勢地方に伝わったとする方が理に適って
いるのではないでしょうか。比良夫貝についてはよく分かって
いないようですが、タイラギのことではないかという説もあります。
以上のような、南方系の説話が日本の神話になっている
ということは他にもあります。たとえば、マレー半島の
ワニだましの説話が日本書紀の因幡(いなば)の白ウサギになっていたり、
他には卵生神話や蛇体神話もあります。
それから、日本各地に残る羽衣伝説の地の一つに、
滋賀県北部の余呉湖がありますが、この地は近年(昭和40年代)まで
焼畑農業が行われていたということです。ということは、
この地の羽衣伝説は南方から伝わってきた可能性があります。
このことは、滋賀県から銅鐸が多く出土していることと
何か繋がりがあるのではないでしょうか。
お気付きの方もあったかもしれませんが、この話は
インドネシア近辺の説話なのです。それが古事記では、
猿田彦が伊勢(三重県)の阿邪訶(あざか)にいる時、
漁(いざり)をしていて比良夫(ひらぶ)貝に手を挟まれて
溺れ死んだとなっています。
この阿邪訶という地名は、現在の三重県阿坂(地図参照)と
するのが一般的のようですが、阿邪訶は地名ではなく、
沖縄で言うアザカイであるという説もあります。
アザカイとはシャコ貝のことで、ですから、インドネシア系の
「猿がシャコ貝に手を挟まれて死んだ」という説話が
沖縄経由で伊勢地方に伝わったとする方が理に適って
いるのではないでしょうか。比良夫貝についてはよく分かって
いないようですが、タイラギのことではないかという説もあります。
以上のような、南方系の説話が日本の神話になっている
ということは他にもあります。たとえば、マレー半島の
ワニだましの説話が日本書紀の因幡(いなば)の白ウサギになっていたり、
他には卵生神話や蛇体神話もあります。
それから、日本各地に残る羽衣伝説の地の一つに、
滋賀県北部の余呉湖がありますが、この地は近年(昭和40年代)まで
焼畑農業が行われていたということです。ということは、
この地の羽衣伝説は南方から伝わってきた可能性があります。
このことは、滋賀県から銅鐸が多く出土していることと
何か繋がりがあるのではないでしょうか。
今日の篠山
工房からの眺め
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