猿田彦が祀られている神社に三つ巴紋はないものと思っていましたが、
三重県鈴鹿市の椿大神社が三つ巴紋であることを知りました。
猿田彦と椿(つばき)については、古賀登氏による長大な論文がありますが、
それについては後日述べるとして、なぜ猿田彦を祭神とする神社に
三つ巴紋が付けられたのでしょうか・・
こういった重層性とも云える現象は猿田彦に関する事象に
よく見られるのですが、それはそれだけ猿田彦が古くから
各地に大きな影響を残したからだと思われるのです。
サルタヒコは特定の人物名ではなく、ニギハヤヒや玉依姫などのように、
ある民族グループの代表的世襲名だったものと思われます。
そして事ある時々に、天孫降臨の道案内をした代表者がいたり、
南西諸島に居たときには塩土老翁(しおつつのおじ)とされたり、と
人々の記憶に残っていったのではないでしょうか。
また、サルタヒコの死因が溺死で、その原因が海に潜っていて
大きなシャコ貝に挟まれたという言い伝えもその一つの出来事だと云えます。
シャコ貝はサンゴ礁の海域に生息するので、日本では沖縄近辺となります。
昨日述べたように、私見ではサルタヒコ族が最初に日本に上陸したのは
鹿児島県南西部の阿多隼人の地としましたが(地図参照)、
サルタヒコ族のルーツを西アジアとした場合、
その後 インド南部経由で東南アジアに至り、南西諸島を経て
鹿児島に入ったことになります。
この神社は、ここ篠山で唯一猿田彦が
祀られている居籠神社(いがも神社)
風前のともし火で
地元の人にも忘れ去られようとしています