古書店でふと目に留まった本ですが
ぱらぱらと捲ってみたら
興味深いことが目に入ったので
買ってきました
小川寿一 編集・解説
「平田家文書」より部分転載
この本は非売品となっていますので
自費出版されたもののようですが
口絵部分に古文書の写真が
いくつか掲載されているので
それを少し紹介しておきます
この文書が蔵されている平田家は
京都東寺の東側にあり
万治元年(1660年)から
明治11年(1878年)までの
各種文書が保管されているということです
その中で私が興味を惹かれたのは
平田家の家業でもあった
農具鍛冶関連の文書です
それは寛保元年(1741年)から
文政元年(1818年)の分まであり
数にして107点あります
まず紹介しておきたいのはこれですが
これは軸装されているので
ここに書かれてあることは
平田家としては誉の一件だったものと
思われるのです
編者の小川寿一氏による翻文
農具鍛冶という職種は
当時では必要不可欠なものだったので
藩の管轄下にあり
専売されていたのではないかと
平田家文書から推察できるのですが
鍛冶に携わっているからには
やはり刀を打つ刀鍛冶には
憧れがあったようです
それを裏付けるように
寛政11年(1799年)の文書には
農具鍛冶仲間のなかから
当時の刀鍛冶の惣匠とされていた
京五鍛冶の一人である伊賀守金道に
入門した者があることも記されています
また上に紹介した文書の内容のように
野鍛冶とも云われる農具鍛冶が
刀の鍔(つば)を打つというようなことは
異例のことだと思われるのですが
それだけに一家として誇りだったのでしょう
本書の編集・解説をなさっている
小川寿一氏は、上の鍔の鍛造の文は
かなり誇張があり見直す必要がある
と述べられていますが・・
鍛冶に携わっているからには
やはり刀を打つ刀鍛冶には
憧れがあったようです
それを裏付けるように
寛政11年(1799年)の文書には
農具鍛冶仲間のなかから
当時の刀鍛冶の惣匠とされていた
京五鍛冶の一人である伊賀守金道に
入門した者があることも記されています
また上に紹介した文書の内容のように
野鍛冶とも云われる農具鍛冶が
刀の鍔(つば)を打つというようなことは
異例のことだと思われるのですが
それだけに一家として誇りだったのでしょう
本書の編集・解説をなさっている
小川寿一氏は、上の鍔の鍛造の文は
かなり誇張があり見直す必要がある
と述べられていますが・・