2011年1月26日水曜日

触角式銅剣 柄頭

巴紋様々」で紹介した原田大六氏は
著書「日本国家の起原」で
考古学上の興味深い指摘をしています
原田大六 著
「日本国家の起原 上巻」より部分転載

その一つに、上に紹介したような
触角式銅剣の柄の考察があります
右端のものは佐賀県柏崎遺跡から
出土しているものですが(参照
これと同様の柄を持った銅剣が
世界各地で発見されているということなのです

ということは、鹿島曻説のように
日本の古代文化・文明は
メソポタミアなど西アジアをルーツとし
それらが西周り、あるいは南周りで
日本に入ってきている
という可能性は大きいと云える
のではないでしょうか
鹿島説では、その流れがタイの
バンチェンで逆流し、再び西と南に
流れて行くのです
また、それが日本列島に入って来る際にも
北からの流れと南からの流れがあります

その流れのなかの、中国と日本に
焦点を当ててみると
以前紹介した、中国遼寧省から
出土している銅戈にある三つ巴紋を
考察する上でのヒントを得ることができます


たとえば 
これは遼寧省出土の三つ巴紋銅戈と
ほぼ同じ時代と地域から出土している
龍の頭部と思われる彫刻ですが
それと同様の様式の龍頭(りゅうず)
時代は下りますが、日本にも見られるのです


これがそうですが
これは海の正倉院とも云われる
福岡県の玄界灘にある沖ノ島の
遺跡から発見されているものです
時代は東魏時代(6世紀)とされています


これはまたずっと時代が下りますが
兵庫県の神社に奉納されているものです
これなども古代遼寧省の流れを
見て取ることができます

ということは、日本の三つ巴紋は
中国遼寧省から入って来た可能性が
大きいことになるわけですが
中国の戦国時代(紀元前403~221)よりも
古くから日本に三つ巴紋が
あったということならば
九州南部から入ってきたものが
北上し、中国遼寧省に及び
それがまた逆流してきたということも
考えられるということになります


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