2011年12月7日水曜日

Sinier de Ridder工房の本

フランスの楽器修復工房
から2冊目の本が
出されました
(2011年9月刊行)

今回はフランスの
ミルクール出身の製作家が
作った19世紀ギターが
特集されています

フランスLamy工房の様子
楽器の鮮明な写真と共に
当時の楽器店や

工房の写真も
掲載されています
(同書籍から部分転載)
このような資料は
我々楽器を作る者にとって
バイブルです
ありがたいことです・・

2011年12月5日月曜日

駒王丸と高麗王若光 その4

富士宮下文書では、日本列島に渡ってきた国狭槌尊
クニサツチノミコトをカラスが道案内をしたことや、富士山に辿りつくまで猿や鹿が協力をしたことも記されています。このことに関して、山梨県の富士山駅周辺には
八咫(やた)という字が付けられた山や地名があったのは富士宮下文書と何らかの関係があるのかもしれません。現在は見られませんが、矢田や谷田は現在でもあるようです。
国狭槌尊をカラスが道案内をした話は、古事記の神武東征譚に登場する八咫烏と同様ですし、猿が同様の働きをすることは、天孫降臨譚で猿田彦が邇邇芸尊ニニギノミコトを道案内する話と酷似しています。
その2のコメントで述べたように、鹿島曻説では、倭人興亡史や桓檀古記から判断すると、神武は扶余王仇台のことになるとしています(百済王仇首でもある)。
また、仇台(神武)は帯方(ソウル)の地に伯済(後の百済)を建て、海を渡って九州北部福岡県の糸島に伊都国建て、さらに熊本では多婆羅国を建てています。
初代扶余は高句麗を建国した人物ですから、古事記や日本書紀の記述は朝鮮半島の出来事だった可能性も考えられます。ということは富士宮下文書も朝鮮半島での出来事であった可能性がでてくることになります・・
日本書紀は中国や朝鮮半島の歴史の借史であるという説もあるくらいですが、そのことをカラスや猿の道案内の説話が裏付けているのでしょうか・・
因みに、古事記に記されている因幡の白兎譚でのワニ騙しの話のルーツはマレー半島にあるとされています。




2011年12月1日木曜日

津田彩穂梨さんの絵




津田彩穂梨さんの絵が届き
ここ数日じっくりと眺めています
小さな絵ですが、その世界は広く大きく
長い間見入ってしまうのです・・
中央に描かれているものは
石好きのワタクシにとってはタマラナイ質感です






宇宙を連想させるものとしては
もう一つ、このような石が工房にはあります
これは25年ほど前に手に入れたものと
記憶していますが、もっと前かもしれません
縞メノウAgateを熱処理で変色させ
輪切りにしたものと思われますが
偶然の産物として表れた模様が
洞窟の中から眺めた宇宙のようにも見えます
この模様を見る度に不思議な感慨に打たれ
我を忘れてしまうのです・・

2011年11月28日月曜日

端材でオブジェ



楽器を作る際に出た端材で
オブジェを作ってみました
いい息抜きになりました

2011年11月25日金曜日

駒王丸と高麗王若光 その3


きょう、八木書店から刊行されている「楽只堂らくしどう年録 第一巻」を手に入れました。この本については後日詳しく紹介するつもりですが、楽只堂とは徳川五代将軍綱吉の側用人として仕えていた柳沢吉保(よしやす1658~1714)の号だということです。
楽只堂年録は吉保の公用日記が翻刻刊行されるにあたって付けられたものだそうですが、この最初に吉保の先祖の家系が記されています。
その書き出しを少し写してみます・・(旧字は新字に直しています)

信定 
「青木尾張守と号す、吉保が高祖父なり。そもそも青木氏は昔時、清和天皇五代の孫、伊予守源頼義の三男、新羅三郎義光、甲斐守に任ぜしより子孫彼国に充満す。これ甲斐源氏の太祖なり。」
このように、「駒王丸と高麗王若光 その2」で、源氏のルーツは朝鮮半島の新羅にあると述べたことの裏付けになるようなことが記されています。新羅三郎の郎は
花郎の郎でもあります。花郎のトップを源花、あるいは花主、また国仙と云うそうですから源氏の源という字も花郎軍団からきているのかもしれません。因みに源花の下が花郎、または仙郎があり、その下に郎徒または門徒という位があるということです。日本の武士について一族郎党と言ったりしますが、これは花郎軍団の郎徒からきているようです。