2010年12月8日水曜日

特注仕様のラプレヴォット・タイプ完成

が出来上がりました
弦長:640mm









新作 小型モダン・タイプ完成

 新作の小型モダン・タイプが
出来上がりました
弦長:640mm
音出しをYou TubeでUPしました

ボディサイズ
長さ:460mm 上部幅:250mm 
ウエスト幅:205mm 下部幅:330mm

長さ:480mm 上部幅:255mm
ウエスト幅:210mm 下部幅336mm

参考までに
1864年製の弦長650mmのトーレスの
ボディサイズは
長さ:483mm 上部幅:272mm
ウエスト幅:235mm 下部幅:360mm 

























2010年12月2日木曜日

三河白名倉と中世中山仕上げ砥

新たに手に入れた砥石を
早速使ってみました

まずこれですが
京都梅ケ畑地区にある中山間府のなかで
中世(江戸時代以前)から
採掘されている坑道で新たに掘られたものです
前回のものより硬めの
最終仕上げ用のものを手に入れました
入手先:さざれ銘砥




ひじょうに硬いにもかかわらず
よく反応し、心地よく研ぐことができます











そしてこちらは
三河白名倉砥の天上層のものです



これはほとんど仕上げ砥と
云ってもいいくらいです
寛政十一年(1799年)に発行された
「日本山海名産図会」 で
三河名倉砥が仕上砥石として
紹介されているのが納得できます

2010年12月1日水曜日

手焙り形土器は何に使ったのか

先日、主に東海地方で出土している
銅鏃を紹介しましたが(参照
攻める方の武器があれば
守る方の武具もあるはずです
まず考えられるのは鎧ですが
弥生時代の鎧は、古墳時代のような鉄製ではなく
木で作られたものだったようです
それから、弥生時代には盾も使われていたようで
これも木製だったようです

常設展示されているものですが
中央部に丸いものが付いていた痕跡があります


こちらは愛知県から出土している
弥生時代の巴形銅器です
これは盾に付けられていたのでは
ないかという説もあります
そうすると、上に紹介した木製の盾と同様のものに
付けられていた可能性もでてきます

それから、裏側に付けられている金具は
後付けだと思われますが
これを取り付けるには、現在行われている
ロウ付けと同様の作業が行われたものと思われます
そうすると、このときに手焙り形土器が使われた
可能性があるのではないでしょうか


こちらは佐賀県から出土しているものですが
この鉤状の突起も後付けと思われます
これらを作るための刃物や工具を
加工する際に手焙り形土器が
使われていたのかもしれません(参照

2010年11月28日日曜日

滋賀県出土の手焙り形土器 その2

下に紹介した地図の黒い点で示されているところは
古代の製鉄関連の遺跡です
時代は古墳時代から平安時代まで確認されているようです
鉄の原料は地元で採れる鉄鉱石を
使ったものとされています

遺跡は、滋賀県の中央部を占める

琵琶湖参照)の西側 に集中していますが
その地域は天日槍が通ったとされるルートと
合致しているのは興味深いところです
因みに、天日槍が渡来してきたとされる時期は

5世紀~6世紀前後という説が有力です

志賀町史から部分転載

(高橋一夫氏「手焙形土器の研究」から部分転載)
さてこちらの図は、弥生時代から
古墳時代にかけて使われていたとされる
手焙り形土器が出土している所ですが
琵琶湖の東側に集中しています
時代は上に紹介した製鉄関連の遺跡よりも
古いということになりますが
この違いは文化圏の違い
あるいは民族の勢力圏の違い
としか考えられないのです


(赤塚次郎氏による「東海系文化の拡散」より部分転載)
そう思いながら、たまたま目を通していた
「三国志がみた倭人たち」という本に
その文化圏の違いを

図示したものが載せられていたのです

これは青銅製の鏃(やじり)
多くの穴が開けられた
多孔銅鏃というものと
S字(かめ)A類と云われる土器の出土地が
示されている図です(●が土器の出土地)
こうして見ると、先に紹介した
手焙り形土器の出土地と
重なっていることが分かります