ここ篠山から三木市街に行く途中に、天津神社という
気になる神社があったので先月寄っていたのですが、その時の写真データをうっかり消去してしまったのです。ということなので神社の画像が紹介できませんが、ウキペディアで紹介されているので神社の様子はそちらでご覧いただくとして、その神社を調べていたら思わぬ方へ事が展開していっているのです。
この画像はさきに訪れた際に撮影し唯一残っていたものですが、昭和4年に奉納された神馬の銅像の台座に納められているもので、この神社の由来が陰刻されています。
創建年代は不詳とされていますが、祭神も記されていません。神社の案内版や由緒書きにも祭神が説明されていないので不審に思っていたのですが、ウキペディアでは五神挙げられています。
この出自を知りたいところですが、神社の名に天津・アマツという音が含まれているので、私は反射的に古事記に登場する鍛冶の神である天津麻羅・アマツマラを連想したのです。この神社がある三木市は刃物の産地として有名な所なので、鍛冶の神が祀られていても何ら不思議はないのですが、天津神社の祭神として紹介されている天穂日命(アメノホヒノミコト)と天津彦根命、そして天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)は、どの神も勾玉から生まれたことになっているのです。
何か引っかかりを感じますね・・
ウキペディアで天津神社の祭神とされているもう一神に熊野久須日命(クマノクスビノミコト)がありますが、熊野に関係のあるものはこの神社の社紋にあります。
この画像は昭和37年に改修される前の本殿様子ですが、三つ巴紋が確認できます。三つ巴紋といえば、
昨年4月にブログで紹介したことのある九鬼家の家紋でもあるのですが、その時に述べたように、九鬼家の本拠地は熊野にあるのです。
ところが、改修後の本殿には三つ巴紋は見られず、他の建物にも見られませんでした。
これにも何か引っかかりを感じます・・
2 件のコメント:
昭和4年当時漢文ではない日本漢文が通常に使われ、皆がそれなりに理解していたのでしょうね。
戦前の知識層が英語等の外国語習得に苦労が少なかったと言われるのは、このような理由によるものだったからでしょう。
読む外国語(話す外国語ではない)として、大学時代、習ったこともないスエーデンとかオランダの技術文献を辞書だけで読む(解読していた)ことを思い出します。
技術論文は数式が基本なので、なんとなく理解できたのかもしれません。
そういえば、マルクスの資本論も原書は数式ばっかりで、薄い文献です。日本では数式を使わずに、言葉で説明しようとするので、その10倍の容量になるのでしょう。
高2の時に数学の先生が微分積分の事を、少し解り、解ったつもり、になる学問ですと言っておられました。
ブラックスワン理論だと言われる様な理論展開をしていきたいものです。
源 信正
漢文体で書かれてあると威厳といいますか、
風格、格調が高い感じがしますからね・・
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