2011年5月15日日曜日

夜光貝でハスの花


製作中の特注トーレス・タイプの
ヘッドに入れる蓮の花が出来上がりました



耀貝は光の当たる角度により
様々に変化します


注文を頂いた方の意向で
大賀ハス(古代ハス)にしてほしい
ということでしたので
送られてきたデザインを元に
いろいろと思案しましたが
素材は夜光貝を使うことにしました

当初はアワビ貝を使うつもりでしたが
アワビ貝では花びら1枚でも
平面を取るのが困難なのです

夜光貝は、日本では古来から螺鈿の
素材として使われていましたし
何よりしっとりとした質感は
蓮の花に適していると思われるのです


このようにヘッドに埋め込みます



出来上がりました




12 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

工場見学の際戸棚にあった貝ですね。
可愛らしく素敵に仕上がりましたね。
        源 信正

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

ありがとうございます。
あの磨いてあるやつは、もったいなくて使っていません。
さっき出来上がったので写真を1枚追加しました。

匿名 さんのコメント...

この逸品の さやは ばくたいの かいが入べき

昔も今も材料の吟味大変ですね。

         源 信正

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

ありがとうございます。
苦労の甲斐があり、予想以上の効果を得ることができました。

匿名 さんのコメント...

http://www.emuseum.jp/detail/100176/000/000?d_lang=ja&s_lang=ja&word=&class=&title=&c_e=&region=&era=&cptype=&owner=&pos=81&num=14&mode=detail&century=
国宝定利です
拡大すると ホコリがいっぱい。
傷らしきものも。
国宝を載せるのに、確認しないのかしら。

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

ほんまですね・・・
しかし、こういった国宝級の太刀や刀の
詳細な画像を見ることができるのは
ありがたいことです。
定利は篠山刀剣会で拝見したことがありますが
小詰んだ刃文(はもん)や刃中の「働き」は見事でした。
そこのところは、やはり画像では見ることができないのが
残念ではありますが・・・

めだか さんのコメント...

こんな風にきれいなピンクになるとは思いもしませんでした。中身は大変結構な貝でしたが食べた後も役に立つ貝ですね。そろそろシーズンに(食べごろに)なります。沖縄の人は良いなぁ、これで玄関を飾ってる人からのプレゼントでしたがkiyondoさんもやってみます?

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

めだか さん
おおきにでした。
おかげさまでハスの象嵌を完成させることができました。
こちらの工房の看板はイナズマツノヤシ貝です・・
http://www.geocities.jp/kazura32/hitachiobi.html

匿名 さんのコメント...

一号 刀   銘   於南紀重国造之 (重要刀剣)

  二号 脇指 銘   於南紀重国造之

  三号 刀   銘   於南紀重国造之 (重要刀剣)
    
  四号 太刀 銘   包永      (特別重要刀剣)

  五号 脇指 銘   於南紀重国造之 (重要刀剣) 

刀剣研磨の玉置さんのブログに書いておられることなのですが、これだけ同じ作者が並ぶのは壮観であると共に、参加された方々も大変勉強になったと思います。

3月に大分北支部の鑑賞会に参加したとき、藤原忠廣の短刀で来国光写しがでると同時に来国次の短刀も出て、見事に悩ませられました。
その時大好きな備前刀が二振り(盛光、藤原勝光)出たのですが、これも写しではなかろうかと疑心暗鬼になり、結果は散々なものでした。
勉強が足りませんね。
           源 信正

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

鑑定会ではめったにお目にかかれない南紀重国が
五振り中、四振りも並ぶとはなんと大胆な・・
入札会場のどよめきが聞こえてきそうです。
写し物も出来が良いほど悩ましいですね・・

匿名 さんのコメント...

西暦と対応して年号を見てました。
神話の時代は別として、鎌倉以降で見ていくと、
1時代あたりの年数の なんと短いこと。
1~2年おきに年号が変わっているのが見て取れます。
朝鮮王朝の様に毒殺交代なのか、栄養失調による健康障害なのか。
現代と違い情報伝達がスムーズでないので、間違った年号で表記された地方風土記があるのではなかろうかと心配になります。
アンタッチャブルの分野なので、内情をついついのぞき見たくなります。
       源 信正

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

やはり院政と、
鎌倉時代になってから武家が実権を握ったのが
おおきな要因でしょうね・・
朝廷は傀儡になってしまった・・