下に紹介した画像は、埼玉県にある
崎玉(さきたま)稲荷山古墳から出土した鉄剣の一部です。
刀身の裏・表には金象嵌の文字が施されています。この文字列は日本の
古墳時代を知る上で
貴重な資料となっていますが、文字とその解釈については様々な説があります。
一般的な解釈はこちらのサイトが参考になると思いますので紹介しておきます。
まず、年代の手掛かりとなる「辛亥(しんがい・かのと い)年」ですが、これには西暦471年説と、
その一回り(60年)後の531年説があります。定説となっているのは471年ですが、この説は
鉄剣の銘文にある「獲加多支鹵大王(わかたける だいおう)」が雄略天皇と同一人物であるという説が元となっているものです。この説には異論ももちろん出されていますが、以前、
銅鏡文字解読の際に大きな示唆を受けた歴史言語学者の
川崎真治氏の説に目を通してみると、獲加多支鹵=雄略天皇に納得せざるを得ない感があります。
ワカタケルという名は、古事記・日本書紀にも登場します。まず孝霊天皇記に「若建(わかたける)吉備津日子命」、孝霊天皇紀の方には「稚武(わかたける)彦命」。景行天皇記に
「若建吉備津日子」、同じく景行記に「若建王」、景行紀には「稚武王」 と「稚武彦王」。
次に雄略天皇記に「大長谷若建命」、雄略紀には大泊瀬幼武(わかたける)天皇とあります。
タケルという名は前回述べた日本武尊(やまとたけるのみこと)にも含まれていますし、日本武尊(古事記では倭健命)が出雲で討ったとされる出雲武もタケルです。ということはタケルという名には何か特別な意味がありそうです。川崎真治説では
古代セム族の習俗で、神に選ばれた王のことだとされていて、この王は頭飾りを冠していたということです。
ということは古代中東の習俗が日本にまで及んでいたということになりますが、川崎説によると、
ワカタケルのワカもそうだということになるのです。