ここ丹波篠山には、丹波最大級の前方後円墳である雲部車塚古墳があります。工房からほど近い所ですが、篠山川沿いの地域には旧石器時代からの遺跡もあるので、古代から住みやすい所だったのでしょう。
丹波篠山のように、内陸部の山深い地域では、川沿いに道があったのだと思いますが、古墳時代には古墳を築くために道の整備も必要だったと思われるので、古代の道といっても想像以上に広かったのかもしれません。
また、丹波の古墳ではありませんが、石棺を作るための巨大な石材を、
九州の熊本から大阪や京都まで運んでいたということも分かっています。
ですから物流技術も古代だからといって、決して貧弱なものではなかったはずなのです。
雲部車塚古墳があるところは兵庫県の中央部で、北の日本海に流れ込む円山川と南に流れる加古川の上流でもあります。加古川に流れ込む途中では「丹波竜」が発見された丹波市山南町を通ります。恐竜の化石が発見された地層「篠山層群」も篠山川の河床に露出していたものです。
山南町といえば、8日に紹介したように、蘇民将来(古代インドの影響)に因んだ神事が行われる神社がありますが、篠山も古代インドの影響を強く受けているので(参照)、その文化は篠山川を通じて伝わった可能性は否定できません。それから、篠山市の味間地域は武庫川の上流にほど近く、その川を南に下る途中に三田市藍本(あいもと)というところがあります(地図参照)。ここに古墳群(高川古墳群)があり、そこから大刀(直刀)が出土していて、それに付けられていた鍔(つば)も良い状態で3点見つかっているのです。
丹波篠山のように、内陸部の山深い地域では、川沿いに道があったのだと思いますが、古墳時代には古墳を築くために道の整備も必要だったと思われるので、古代の道といっても想像以上に広かったのかもしれません。
また、丹波の古墳ではありませんが、石棺を作るための巨大な石材を、
九州の熊本から大阪や京都まで運んでいたということも分かっています。
ですから物流技術も古代だからといって、決して貧弱なものではなかったはずなのです。
雲部車塚古墳があるところは兵庫県の中央部で、北の日本海に流れ込む円山川と南に流れる加古川の上流でもあります。加古川に流れ込む途中では「丹波竜」が発見された丹波市山南町を通ります。恐竜の化石が発見された地層「篠山層群」も篠山川の河床に露出していたものです。
山南町といえば、8日に紹介したように、蘇民将来(古代インドの影響)に因んだ神事が行われる神社がありますが、篠山も古代インドの影響を強く受けているので(参照)、その文化は篠山川を通じて伝わった可能性は否定できません。それから、篠山市の味間地域は武庫川の上流にほど近く、その川を南に下る途中に三田市藍本(あいもと)というところがあります(地図参照)。ここに古墳群(高川古墳群)があり、そこから大刀(直刀)が出土していて、それに付けられていた鍔(つば)も良い状態で3点見つかっているのです。