2010年8月12日木曜日

謎の出土砥石

出土した砥石を手に入れることができました
出土地は明らかでは
ありませんが
これの出所が
はっきりしていたら
このように一般人のところには回ってきません

明らかに砥石として
使われた痕跡がありますね
しかもかなり古そうです
長さは約20cm

裏側の様子
写真では分かりにくいですが
全面が何かに擦られたのか
滑らかになっています
おそらく砥石を使う際に
石の座りをよくするために
やわらかい地面か
何かを敷いた上に
置いていたのかもしれません
そして研くときに
砥石もいっしょに動いた
ということも考えられます
それでもこのように
滑らかになるには
かなり長い期間
使われたものと思われます

不思議なのは
写真の左側半分ほどに
何かが付着しているのですが
これがかなり硬いものなのです
砥石と同じくらい硬い

危険な成分が含まれていないか
検査をしてもらいましたが


大丈夫のようです

カッターナイフで
傷を付けてみました
硬いです
なんとか傷が付いた
という感じで
カッターナイフの刃は
ボロボロになりました
我々が木工用として使っている
天然砥石はこれほど
硬くはありません

同じような砂岩系の
和歌山県産の荒砥も
削ってみましたが
それほど硬くは
ありませんでした
中砥の硬めの但馬砥でも
カッターナイフでは
サクサク削ることができます

そして付着しているものも
ほぼ同様でモルタルの
ような感じです
これは一体何なのだ
このことはひとまず置いといて
この砥石を実際に
使ってみようと思います
こんなことも
出所がはっきりしている
考古学上重要なものだったら
まずできません

これは作りかけの
デッカイ勾玉です
石材はミャンマー産の
硬玉(ヒスイ)
この状態は、ダイヤモンド
グラインダーで
荒削りをしたものです

これを砥石に当ててみました
もちろん水をかけて研ぎます
ザクザクとよく反応する
ではないですか・・

3分ほど研いで確認してみると
グラインダーの傷痕が
見事に消えています

砥石の方は
このように経年による
表面の汚れが削れて
原石の肌が現れました
砂岩ですかね・・

それじゃ刃物はどうなのか
早速試しましたが
これもよく反応し
黒い研ぎ汁が出る
ではないですか
おそるべし

2010年8月9日月曜日

不思議な符合(隼人と錫)その7

これは鹿児島県の上加世田遺跡から出土している
縄文時代後期の玉(ぎょく)類ですが
以前のコメンでト述べたように(参照)、これらの原石は
これまで糸魚川産とされていたものが
地元南九州産のものであることが判明しています


そしてこちらは、古代インダスの遺跡から
出土している装身具です
赤い管玉は紅玉髓製で
長いものは10cm近くありそうです
形状は上加世田遺跡の長いものと
よくにていますが、インダスのものの方が
より洗練された印象を受けます


同じく古代インダスの遺跡から出土したもの


これは手許にあるものですが
緑色のものは中国で作られたもので
時代は詳しく分かっていません
石材はミャンマー産の硬玉(翡翠・ヒスイ)です
右上の光沢のあるものは
比較的新しいものだとされています
下の長いもので長さは約5cm

ただし古代中国の玉の玉製品は
艶が強ければ新しいとはかぎらず
良渚(りょうしょ)文化の玉製品は
古くても艶が強いものが多く
これはその地域の好みがあったようです

赤っぽい樽状のものは

ナイル川沿いの古代遺跡から出土したもので
時代は石器時代(紀元前5000~3000年頃)
とされているものです
石材はローズクォーツで紅玉髄と
成分は同じで石英質のものです

丸いものはサンゴで作られていて
これはごく新しいものです
それらをこちらで適当に組み合わせたものです

2010年8月8日日曜日

不思議な符合(隼人と錫)その6

鹿児島県の大隅半島で出土した銅矛がどのようなものか見たくて調べてみましたが、ネット上では東京国立博物館で展示されているということまでしか分かりませんでした。なんとか形だけでも知りたいと思い、以前手に入れていた資料を手当たり次第めくるしかない、と何気なく書棚に目をやったら、「古代九州の遺宝:鏡、玉、剣」という図録が目に留まりました。かなり古そうです。いつ手に入れたのかも覚えていない・・。これに載っていなかったら諦めるしかないなと思いながらめくっていたら、ありました、ありました。

モノクロですが、鹿児島県出土の銅矛が
1点載せられていました
説明には曽於郡有明町野井倉下原出土とあります
時代は弥生時代後期 長さ81,8cm
曽於郡は現在の志布志市(地図参照
この形状の銅矛は中広形と言われ
九州各地で見られるものです
鹿児島県では今のところ
この1点しか出土していないようです
鹿児島県では何故か古代の青銅製品の
出土は少ないのです

源信正さんからのご教示で
東京国立博物館HPの画像を紹介しておきます



ページをめくっていて驚いたのは
この銅戈(どうか)です 長さ10,2cm
これは参考品として展示されていたもの
のようですが、中国遼寧省から出土している
戦国時代(紀元前403年~221年)のものです
なんと、茎(なかご)部分に
三つ巴紋があるではないですか・・

2010年8月7日土曜日

不思議な符合(隼人と錫)その5

古代インダスの遺跡から出土した青銅製品の
成分分析されたデータを
紹介しておきます
東方出版:「古代インドの科学と技術の歴史」から部分転載






以下参照サイトを挙げておきます
他にご存じの方はご教示お願いいたします

2010年8月4日水曜日

不思議な符合(隼人と錫)その4

もう一度、鹿児島県出土
とされている銅鐸を
紹介します


そしてこの二つの銅鐸は
左が福井県から
出土したもので
右は徳島県から出土したもの
共に国立歴史民族博物館に
所蔵されているものです
このように大型でエラ部に装飾が付いているものは
銅鐸が作られた時代の
終末期に見られます
ということは、上の
鹿児島県出土とされる
ものはエラ部の装飾が
多いので終末期のもの
なのでしょうか・・
残念ながら大きさが
分からないので
何とも言えないのですが
高さが50cm以上なければ
終末期ではないとも言えます
それに加え
形状が日本の銅鐸
らしくないのが
何とも不思議で


この古代中国の
三星堆遺跡から出土している銅鐸状のもののように
日本銅鐸のルーツととらえた方が無難のようです
東南アジアの銅鼓
銅鐸のルーツとする
説もありますが、ちょっと
無理があるように思います