
先日製作した角盥

そして注ぎ口を付けた楾hanzo
これらを作る際に
参考にした資料の一部を紹介
雄山閣から出版されている
木工の考古学
轆轤rokuroは弥生時代から
使われていたようだが
現物は確認されておらず
轆轤で作られたとされる木製品は
状況証拠として確認できる
しかしながら
研究者の意見は分かれているようだ
奈良県の弥生時代の遺跡
唐古遺跡から出土している木工品
右のものは刳り加工と思われるが
左側の2点は轆轤による加工と思われる
これは上の画像のものと
同様のものか・・
轆轤は描かれているものとしては
14世紀のものが最古とされているようで
弥生時代のものも
それほど違わなかったものと思われる
加工されたものは古墳時代のものと
奈良時代のものに
口径46cmのものがあるのには
驚かされる
古代西アジアの轆轤
西洋にはこのようなものも
あったようだ
室町時代頃の轆轤師の職人絵
出来上がった角盥と楾hanzoが
セットにされている
これは蒔絵師が角盥に
黒漆を塗っているところ
角盥と楾を使っているところ
西洋人の感性と
日本人の感性
左はモディリアーニの彫刻作品の
レプリカ
ジョットの流れを汲む画家の
チェンニーニの著書、「芸術の書」。
これは中村彝tsune
(1924年大正13年に37歳で逝去)が
結核の病床で進めていた未完の訳稿をもとに、
美術史家の藤井久栄氏が補筆・完成
させたものとされていて、
1300部限定で刊行された。
中村彝の自画像も掲載されている
目次の一部
14世紀の画家
チェンニーノ・チェンニーニの作品。
右は教皇聖グレゴリウス1世、
左は聖ニコラウスとされている。
Kazue Azuma のサイン
中田蔵書の印と
1973年 東賀津絵 のサイン
東賀津絵さんの作品
チタンコーティングされた
カイヤナイト
ポルトガルギターの型枠作り
そして、内型として仕上げていく
旧ソ連の映画監督タルコフスキーは
日本文化にたいへん興味を持っていて、
日本語版「タルコフスキイの映画術」では
松尾芭蕉matsuo-bashoや
弟子の宝井其角takarai-kikakuの句を
紹介している。
ここで興味深いのは、タルコフスキーは
俳句のことを発句hokkuと紹介しているのだが、
結論を言うとタルコフスキーは正しい。
俳句という言葉は明治時代に
正岡子規が創り上げたもので、
芭蕉の時代には俳句という呼び方はなかった。
芭蕉自身は自分のことを
俳人と呼んでいたようだが、
俳句という概念はなく俳諧と呼ばれていた。
また当時は数人による連歌(連句)が主に行われ、
最初に誰かが発句として
「五・七・五」の歌を詠み、
続きとして他の者が「七・七」の脇句を詠む。
これが交互に繰り返され繋いでいくものだった。
それが芭蕉によって発句だけが独立して
詠まれるようになったようだ。
タルコフスキーは芭蕉の有名な句
「古池や蛙飛び込む水の音」を紹介していて、
タルコフスキーがロシア語で書いたものは
「Старый пруд.
Прыгнула в воду лягушка.
Всплеск в тишине.」
これを日本語版では
「古い池 蛙が水の中に飛び込んだ
静けさの中の音」
と訳されていて、興味深い。
タルコフスキーは日本の生け花ikebanaや
盆栽bonsaiにも興味を持っていて、
このタルコフスキー映画のサクリファイスにも
日本の盆栽を彷彿とさせる場面が登場する。
サクリファイスの一場面
木を植えているところ
その後、子供が水をやる場面
セットを作っているところ
枝ぶりを修正し別の枝を
付け加えているところ
左の人物がタルコフスキー
生け花の要領か・・
タルコフスキーが尊敬していた
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵
同じくボスの絵
ゴッホも同様の絵を描いている